「チル チル、ミチル」
チル
今年に入ってから、とにかく体調がすぐれない。
去年の十月、いまおもえばこれも旅から還って来て、下北沢のソウルミュージックバンドとライブで詩のコラボレーションを行った直後だが、新型コロナ・ウイルスに罹患したらしく、しかも病院嫌いのわたしは、痛み止めで自己治癒を待った結果、十日間に渡って高熱にうなされ、非常なダメージを負うこととなった。悪化の一途を辿っていたのでなくなく家から徒歩1分(!)のクリニックでPCR検査を受け、陽性と分かり、熱にうなされていた布団もない畳敷に嫌気がさし、隔離病牀として都が提供していた隣駅の大森のアパホテルへハイヤー(もちろん都持ち)で運ばせ、三日間閉じ籠もった。それでも恢復はしなかったものの、しばらくしてどうにか動けるくらいまでにはなったのである。
だが、嗅覚は戻らなかった。相変らず煙草は旨かったが、元来好きではない食事の苦痛が耐え難かった。味覚とは、ここまで低級な感覚器なのかと訝った。甘い、辛い、酸っぱい、苦い、この四つのパラメータしかない。いちご味だとか、シトラス風味だとかいうけれど、これらは風味という名の匂いの出張先であって、鼻が利かなくては馨ってこない。そして、よくにほん人の発見した(古くから知っていた)といわれる、旨みという第五or零の味覚はといえば、無臭生活を送っていて塞ぎがちな心のせいもあってか、まるでして来ないのである。いや、味も食感も、なにからなにまで不快なのだ。コカコーラで空腹をごまかす日々が続いた、甘さと炭酸の組み合わせだけは、不快でないだけの快ではあったが。
半年経った。立会川の勝島運河の桜の先初めにあわせて、ほのかほのかに匂いは還って来た。長すぎる半年、詩をかく者としての死を、つまり感性の死を、ほとんど覚悟しきっていたのもむりはない。観念もまた物質に依存しているのだと知った。ドストエフスキイの地下室の住人が、「オレが飲む一杯の紅茶のためなら、この世界なんざぶっ飛んじまっていい」といった気持ちがもひとつわかった気がした…まだ恥知らずでなく金がなかった頃、梶井基次郎が仕送りで買い込んでいたという〈リプトン青缶〉を恋人と……それはいい。
話はとぶが、先日わたしの住んでいる立会川のすぐ隣の箱で「文学フリマ」というものが開催されていて、実物を見てみたかった詩人も来ているというので、足を運んだ。会場を歩いていると、去年いちど会った、同じ高校出身で、この前卒業した大学の映画学科に在学している後輩が声をかけてきた。「空地」という同人誌を友人とつくっていて、前回にひきつづき「空地」の2号を出しているというので買う。「Vol.2●もうチルしている場合じゃない」。面喰らった、わたしにはこれまで自分でチルしたという覚えがない。しかも、もうそうしている場合ではないのだという。
かねてから二三個くらい時代遅れのものが好きなわたしは、はじめてチルしてみたいとおもった。話題の新作アニメ映画(『君の名は。』とか)も、二度目の金曜ロードショーくらいになって騒ぎ出すわたしだ。現在に熱狂しない、是すでにチルの態度だろう。だとすると、チルという言葉が流行っているとき、すでにチルは了わっているということになる。言葉はいつも一歩か二歩遅い。だから、「もうチルしている場合じゃない」事態にこそチルはふたたび蘇る。さあ、とっておきはこれから、今がおもう存分チルする時だ。
○旨い煙草をひとりゆっくりすう(大きな仕事のあと、或いは悲しみの、よろこびの)。
○旨い紅茶を恋人と相対してのむ(会話はなるたけ少なく、目付と仕草と吐息だけで)。
○旨い音楽を部屋を暗くしてきく(一人、二人、それ以上。レコードの音量は控えず)。
この三つで、チルの要所はおさえた。目は瞑るにこしたことはない、夜空か恋人くらいなら映ってもよい。なにより、旨い、というところが一見チルとは関係がないようにみえて肝だ。不味いものとチルは合わないようである。まあ本くらいは読んでいてもいいだろう、もちろん旨ければの話だが。そう、旨いなら、ディックでも尻花でもよい。
嗅覚がないのは、新型コロナウイルス感染による後遺症とみてまずまちがいない。鼻がつまっているわけでもないのに匂いがしない経験などこれまでなかったから。話の筋では、わたしはこの間ひとときもチルすることがなかったといえる。匂いのしない空気はすべからく不味かったから…わたしが閻魔ならばこういう地獄をつくる、無間地獄のひとつ前に。
ところで、あえてチルとカタカナ英語でいうのは、これが若者の反抗概念(大人にはけっして分からないという価値または反価値)だからだ。さきのわたしの三柱では、どの世代にもあてはまる(古い世代の言葉でいえばブルジョワ的の)嗜み(梶井基次郎のようにこれを身分違いの貧乏人がやるとでかだんすという文学的価値となる)とも憩いともリラクゼーションいえてしまうし、あるていどはそうなのだが、チルにはチルにしかない味もある。こういう流行語はそもそもが、言葉にしにくいが、分かり合える共通感覚を指して謂われ端めるものだ。だが、語彙になった瞬間から、すでに少し、斜めに気取った不真面目な感じも出て来る。つまり、自分にしか分からない(少なくともそう思い込んでいる)感情や感性を、安易に分かち合いはじめたとき、わたしはすでに詩人ではなくなっていく。わたしのいうチルの味とは、チルといってしまいたくない、そう思わせるところのものだ。
チル、
粋な男のおでまし、
イルで一番イカスMC that's me, me!
イカれてる イっちゃってる 異ノーマル
普通じゃない、並外れてる!
雲の上でチル 上にゃ上がいる
だいだい東京のサブカルキッズにローファイ・ヒップホップの流行りだしたあたりから出始めた言葉だとおもうが、ようするに亜米利加のヒップホップの黒人精神からきたチル(古くは原始ブルースにまで遡るとおもう)を、日本人でもっとも早く、しかもモノにしていたのは、この「人間発電所」(1996)のDEV LARGE(BUDDHA BRAND)だろう。
いうまでもなく、chillのもとの意味は、冷やすとか、凍えるとか、寒気が走るだとかだ。日本語で若者たちのあいだに流行っているカタカナの「チル」はこれとはちょっとちがう。ブッダブランドでいくなら、「ブッダの休日」(1997)の方が、頷ける人も多いにちがいない。
[verse1:DEV LARGE]
パッと発散 フー吐き出す不満 いつもイルでもやっぱ今日はチル
周りの柵 ふり振り切り切る 吐き出す、羽根伸ばす 旅に出る
(…)
[bridge1:〃]
人 それ、ぞれ みんな自分の早、さで ゆうっ、くり行けばいい
じゆ、うに 急、がず ゆっくり、伸び伸びのんびり行けばいい
[Chorus]
空を駆けてくような気持ち良さ 身体いっぱい浴びる御日様の
日溜まりの中 今を生きる 自分のrhythmつかみ、風を吹かす
空を駆けてくような気持ち良さ 身体いっぱい浴びる御日様
心地好く差し込む日溜まりの中 自然のrhythmつかみ、俺ら行くのさ
もし、君が今風の「チル」を知っているとすれば、少しこの歌詞はズレていると感じるかもしれない。わたしの観察では、いまの「チル」にはこの青空の呼吸がわからない、DLのフロウは真似しようにもできない。「ブッダの休日」には午前の感覚があるが、「チル」は黄昏か夜、或いは窓のない部屋。雲は飛行機の小窓から見るもの。ブッダの全身肌感覚は、静脈を流れる咳止めシロップの成分に変った。それは、そのままの意味で「イル」だ。
話し言葉は、しばしば正反対の意味になる。往きの道ではスラングや隠語が生まれるし、流行語となった復りの道では常套句や死語へと変わってゆく。〝いつもイル〟のもつダブルミーニングはただたんに〝病んでいる〟という一つの意味でしかない。病んでいるのは社会と社会という名の時間に急かされているボク。気持ちはレイム。なにもかも、させられているような気がする。誰にも何にも急かされていないはずなのにくつろげない。旅行で御日様の下、大自然の中へ行こうとも、ストゼロやガンジャやリーンなしじゃやってけない……。
次なるCQのゔぁーすに出てくる哲学てきなラインは素直に頷ける人も多いだろう、
早くもなく、遅くもなく、流れてゆく時間の感覚
ようするに「チル」もチルもこれが欲しい。
だが、同じ時間感覚でも、天空性の有無はいかんともしがたい。天上であればあるほど寒い。そして、退屈。何もかもわかってしまった、この感覚。chill...
なぜ、ブッダのフロウには天の呼吸があるか。
Ain't hard to tell.
●いっぷくコラム:古代日本にみるチルの感覚
藤原ノ宮から、寧楽ノ宮へ遷都せられた時の歌
大君のみこと畏み、にぎびにし家をさかりて、隠国の泊瀬の川に船浮けて、我がゆく川の、川隈の八十隈落ちず、万度かへりみしつつたまぼこの道ゆき暮し、あをによし寧楽の都の佐保川にい行き至りて、我が寝たる衣の上ゆ、朝月夜さやかに見ゆれば、栲のほに夜の霜降り、磐床に川の氷こほりさゆる夜をいこふことなく、通ひつつ作れる家に、千代までにいまさむ君と、われも通はむ 万葉集巻第一79
これは、「チル」できなくなった人(ら)が、chillして、chillされたいこふことなき身と心を、チルするために歌ったイルなbluesだ。君のいうことには逆らえないので、なく〳〵はなれたくもない住み慣れた都から新しい都ができる現場につかされ、川の水も凍りだす寒い夜にも「チル」できずに家を作らされてる、ここで重い一息、空を呼吸するように、〝(その家に)千代までにいまさむ君と、われも通はむ〟とくる。この時代では、歌は君へ捧げる物であり(君こそが第一の歌詠みでもあるのだが)、こういわなねばすまなかった。ここに来るまで、くね〳〵した川を来た道の方へ、一万べんも振り返った、訣かれえぬ人の心があって、〝俺達の知る限り、時間ってやつは止まったり、戻ったりはしない〟。だから言わされるように言わされるコトを歌う喉のふるえのようにしか、自分が自分に対して(君のためでなく)表現できなかった。ためにか、この歌は何に仕えさせられ急かされているのかもわからないが憩うことままならない「チル」な感性にどこか寒気を催させる。「天皇陛下の御命令の恐れ多さに、賑うておった家を離れて、泊瀬川に舟を浮けて、我々が下ってゆく、その川のいくつもある曲り角毎に、きっと、幾度もふりかえりながらやって行くうちに、日を暮してしまって、寧楽の都の佐保川に著いて、寝ている著物の上をば、まるで朝のようにはっきりした月が照しているので、気が付くと、夜の霜が真白に降っているし、川床の磐の上には、川の氷が凍っている。そういう夜でもやすむことなく、出かけて行って作った御殿に、千年までもおいでなさるあなただと信じて、自分も常に、そこへ通おうと思う。(つじつまのあわぬ処のある歌であるが、ともかくも、要所要所は確かに捉えている。)」折口信夫『口訳万葉集 (上)』〔筆者と折口の解釈とでは、意味の切れの位置が違う。文法判断としては、夜の霜降り。とここで切るべきなのかもしれないが、歌の整理されていく過程でそうなったとも釈れる。いずれにせよ、この論理の糸が心情のもつれで致命的にこぐらかっているところにこの歌の医し切れぬ命があるとみたい。〕
反 歌
青丹よし寧楽の家には、万代にわれも通はむ。忘ると思ふな(作者知れず)
「寧楽に建てた御殿へは、いつまでも変ることなく、我々も通おうと思うている。いつまでたっても、われわれを忘れようとして下さるな。」
◎もういっぷくしましょう
時代は鎌倉三代に降るが、わたしの知るかぎりこれほどまでにchillする歌はまたとない。
あら磯に浪のよるを見てよめる
おほ海の 磯もとゞろによする浪、われてくだけてさけて散るかも 実朝
ミチル
いつ録ったやつか忘れてしまったが、中村というやつが「「チル」とはくり返す」ことなのだと言った。本人がどれだけ考えていったかは分からないがとにかくぼくはその言葉がすごく腑に落ちた。最近自分が感じていたことの断片が、はっきりしたような気がした。もう「チル」している場合じゃないんだ、とぼくは最近ずっと思っていた。でも、ただそう思っていただけで、何でなのかまでは分かっていなかった。しかし「チルとはくり返し」であるという彼の言葉で視界が一気にひらけたように感じた。たしかにヒップホップの反復するチルいビートは陶酔感を生み出すように設計されているし、よく知っている映画やマンガをくり返し見たり読んだりしている時の安心感に満ちた体験は「チル」という言葉がよく似合う。」巻頭言●もうチルしている場合じゃない(のか?)松崎太亮「空地 Vol.2●もうチルしている場合じゃない」2023,5,21発行
この発言はおおよそ当世流行(遅れ?)語の「チル」を言い当てているようにおもえる。わたしはこのような体験が希薄だ。でも、言い当てているとおもうからには、思い当たる節でもあるというのか。
異和、といおうか、インターネットの言葉で「逆張りヲタク」といおうか、この混ざりたくないという感情。もしかしたら、わが幼稚園時代にさかのぼるかもしれない。字面は変えているが、ようするに、「チル」というのは、わたしがそこに足をつけぬよう忌避してきた(少なくともそう思い込んでいる)あのぬくい生活感情をさしているにちがいない。
安心。わたしにはよくこの気持ちが分からない。たとえば4月より再開して毎月出して来ている同人誌「偏向」の編集・確認が了わり、Web上にリリースした。それが何だろう?次はどうする、編集作業のために出来ていなかったことどもは、この鬱は、退屈は…
退屈。いつもこの気持ちに支配されていて、振り払うため何かする。分からない、好きな作品を読み返すときに感じるのは、はやく自分も何か為さなくてはという焦燥であって、安心ではない。前にこれを読んだ時、これを観た時、この曲を聴いた時、おれはよりよく生きたいと望んだはずだ。風を止めるな。眠りの中に救いはない、Put your hands in air!
こういうのは生まれてから中学生の終わりくらいまでに出来上ってしまう体質のようなもので、良いとか悪いとかではないのだろう。もっといえば、母親との…まあいい、安心は、嬰児の、いや哺乳類の原始の生理であろう。わたしは陸にあがってからというもの、これを知らない。いつかの詩の言葉では、「すでにしゅーずを履いていたのをおぼえてる、その胎のなかで」。
二〇二二年の春ごろに出た『AMBIENT definitive』という本の帯に「こんな時はチルアウトするしかない」と書いてあって、はじめて目にした時はコロナの時代にぴったりの言葉だと思った。コロナの時代にチル=くり返しは必要だ。コロナがくり返す日常を奪ってしまったのだから、ぼくたちはチルすることで仮想のくり返しを作り出さなければならなかった。
さっきの巻頭言のつづきだ。このあとに、YouTubeで昔の邦楽バンドのフェスでのライヴ映像を観ていたら、誰ひとりマスクをしていないのに時間差で驚いた、気づかぬうちにコロナ禍での歪な日常が日常として定着しつつあることへの気づきが記されてある。
我々が日常を、歪なかたちであれ取り戻せたのなら、ぼくらはきっとチルから抜け出さなければいけない。ぼくらは、オブスキュアで心地よい何かを乗り越える、エネルギーに満ちていて、アッパーで突き抜けた何かを探さなきゃいけない。
わたしはここで無意識に想定されている、「チル」を通った感性の読者からはずれている。令和二年の春、行政による最初の緊急事態宣言が出されたとき、わたしの思ったことといえば、「オブスキュアで心地よい何かを乗り越える、エネルギーに満ちていて、アッパーで突き抜けた何かを」創らなくてはならない、だった。──
ある心のくるしみから、人と逢ないいちねんをもったそのころ、胎児のじだいのことをおもいだしていた。〈1995〉額に刻まれているその数字とともに。
天では地震があり、東では宗教のテロ─Newsは母のこころをとおして羊水につたわっていたはずだ、すでにしゅーずを履いていたのをおぼえてる、その胎のなかで。
街にくりだす、それがどうやら生得の解決策らしい、心躍りはそのときに。不謹慎の子。生まれてしまったものはしょうがない。たとい〈かくしんはん〉てきにであったとしても。罪などない、人にも土地にも。あるはずがない。
東北の震災のときも、すでに心とカラダを壊していた、画面越しの光景はその写し絵である。いや、救われていたのだ、そのころの家の近くの成城石井の床がキリストの血の池になっているのにようよう生気づき、徒歩帰宅する人人の街を、学校へ連れ戻そうと迎かえに来ていた友人ふたりと肩をくんで何かの優勝を祝うよう練り歩いた、…
そして、いちおう日常が戻ったことになっている(つい先日二週間九州を旅していたが、東京とのちがいは、まだほとんどの人がマスクをしていることであった)今思うことは、さ、徹底的にチルしてこうじゃないか──というより、わたしはイルでない意味で「イル」だ。
「チル」がくり返すことというのは分かった。音楽から得た着想だろうから信用もできる。それで、何をくり返すかだ。ここで人は安心派と焦燥派に岐れる。
〝日常〟が苦痛な人間もいる。この人は、或る種の激しさを反復するしかない「イル」だ。そして、どこかで病んでることを、自ら価値に転換しなければ、行き着く先はなんらかの依存症か、発狂か、犯罪か、自殺か。この人のネット検索に〝安心〟の二字はひっかからない。「オブスキュアで心地よい何かを乗り越える、エネルギーに満ちていて、アッパーで突き抜けた何か」が欲しければ、この人を見よ。「イル」でもあるが、イルでもある。毎日が綱渡りのようなものだ。背負わされたとは思ってない。こうだからこうなだけ。
もし、安心を知るものが、激しい非日常を求めるのであれば、チルするがいい。偽りの夢から醒めてあることだ。何より、孤独になることだ。そうしなければ、行き先は戦争だ、スローガンはきまってる、曰く〝もう「チル」している場合じゃない〟。
…いや、戦争を始めたのはわたしのほうか。やっぱり「イル」は「チル」に関わるべきじゃない。お互いに、心地よくいこうじゃないか。「エネルギーに満ちていて、アッパーで突き抜けた何か」はよそを当たってくれ。わたしはここでchill...
Part.1「チル チル、ミチル」〈了〉
引用した詩は『崖のある街 -Deluxe Edition-』白石火乃絵、prologueより。
「サウザン、マイルス」
Studio Outtakes
序 - False Start
九州を旅していたとき、慣れない飛行機や、フェリーや貨物船、電車、自動車と、やや不快なエンジン音と、乗り物に酔いやすい体質から何もできないこともあいまって、音楽を聴いていることが多かった。
わたし、白石火乃絵は、いちおう無名の詩人ということになっているが、本当はミュージシャンになりたかった。満十六歳ちかく、ゴールデンウィーク文化祭への従事が了ってから、親友とパンクバンドで世に出たいと思っていたが、向こうはとりあえず受験をするということになり、口を利かなくなった。ひとりで、下北沢や池袋で、メンバーを探してセッションしては、「消えてくれ」と告げる日々が続いた。
けっか、十七歳の初春に、軽音部の卒業ライヴで時間をもらい、ひとりでエレキギターでボブディランやジミヘンドリクスやストゥージズの替え歌を日本語でやったのをもって、以降はむしろ文学へ傾倒していくという運びとなった。
夢みたのはあくまで親友とのパンクバンドだった。
〝だから僕は音楽を辞めた〟とはいえない風に、中途半端なところでミュージシャンから詩を書く方へ移ったのは、作曲と作詞ができなかった、ということも大きかった。
作曲の方は、「パンクは理論に触れてはならない」みたいなことで、感覚だけを頼りに、コードやフレーズをいじってみるものの、それらを構成して一曲にすることがどうしてもできない(これは詩においても出来るようになるまで相当かかったし、大掛かりな巨篇はまだ書くことができない)。
作詞も、日本語を想うように、メロディに乗っけたり、ラップすることができなかった。というより、表現したいことを言葉にすることができなかったのだ。素直な「君が好きだ」のひとことも、口にできないソウルレスな自分に驚いた。清志郎とジョンレノンが好きなのに…。
十六歳の冬に、青いリングノートに歌詞をつけ始めた。初恋とその煩悶とから始まった。二年ほどでノートは五冊になった。曲やメロディを前提とせずにで書いたので、おのづと詩や散文のようになる。それさえも断片ばかりで、かたちにならなかった。
三年目は、失恋のあと無職でバイト生活をし、二度目の恋に破れたのと、静脈瘤の手術を受けたのとで、創作を志すようになり、四年目に日本大学の藝術学部へ通うこととなる。
「現代詩」というものは上京者たちの着飾った変性短歌のごときものとおもっているので、東京者のわたしは「ロスタイム」という散文作品をしたためたらしい。文芸学科というところにいたが、なぜか創作といえば詩ではなく小説が前提とされていた。わたしの作品は「小説でない」といってまともに読んでもらえなかった。意地になって、小説を書いたりもした。三年次に、わたしと同じで宮沢賢治が生涯の詩人である中村文昭氏と出逢うまで…。
原点回帰してみれば、やはりわたしは親友をヴォーカルに据え、じぶんは黙ってギターをひきまくっているパンクバンドの夢がある。その夢に乗り出すことができず、次に想い描いたのは、ボブディランや清志郎やジミヘンドリクスのようなシンガーソングライターになること、或いはもちろんラッパー。挫折したのはさっき書いたとおり。例の煩悶から半年間部屋をでなかった頃はモダンジャズにのめり込む。言葉を使わずに、反世界の言語を駆使しているように聴こえた…。そこから『春と修羅』まではひとっとびだ。コトバで言葉を帳消しにしようとあがく、それがこれまでわたしのやりたいとおもったことどもを貫通する主題のように思えた。──
それから七年ほどして、第一作品の『崖のある街 -Deluxe Edition-』が出来上がった。
行くとこまでいった。その代償でもあるかのように体調を崩して治らない。それが諦めをつけたはずのミュージシャンの夢を喚び起こすらしいのだ。自分なりに詩を模索追求したとき、技術というものにおもいあたった。詩も技術で成り立っている。青いリングノートから十年書いて、ようやくおもいいたった。それが「パンクは理論に触れてはならない」という呪縛を解いてくれたのもあるし、いや、ひとつことを成し遂げたことが、Complexに向きあう勇気をくれたという方があってる。どうしても作曲ができなかった時のあの、唖の唖の唖のような感覚、メロディに載っけたとたん自らの言葉が噓になることへの憤り。この作曲、作詞の失敗たちから受けた傷が、そのまま火乃絵の詩になったともいえる。
『崖のある街 -Deluxe Edition-』を出して年が明け、後遺症に苦しみながら新しい詩篇を書き継ぐうちに、言葉への或る種のゆるしのような気持ちが、ちいさく小さな芽のようにして起き上がってきたらしい──詩的強度をもたない言葉の数数への…。
何度引用したり、自らに言い聞かせて来たかわからないが、キルケゴールの『反復』という書物に出てくる言葉に、〝関心は関心に座礁する〟というのがある。何にでもあこがれることはできるが、望もうと望まなかろうが、人は自らの星を追うしかない。耻ずかしいことに、これしかできなかった、それが本当なのだろう…。
でも、Complexを持った時点で、わたしとしてはもう向きあうしかないのだ。
諦めるということが、とにかく苦手らしい。
だが、人生の第一志望は、そんなのもうとっくの昔に諦めている。──
破 - Premonitory
このイコウ‼ 文学を犠牲に
音へ──。
(火乃絵にじゃアレがある
〝線路の
まちがった端で生まれた〟
ビートニクの人の夢。
言葉のようにサックスを話し
ピアノのごとく沈黙する。
おお、詩は理論でできている、
すべからく
すべからく
⁂
夏の朝──。
アファナシエフの
「熱情」
奏でて逝く 十年目のPortaPro
「INTERNET OVERDOSE」じゃないけれど、
倫理よりも劇しく生きたい。
⁂
壱岐
それは 音楽
巨万の富
それは 静寂
極彩色
わずかに息づくエゴの
かそけさ
アジサイ
〈Take2へつづく〉