壱岐から屋久島まで、九州を南北縦断する――そんな考えが海上の島のようにうっすら浮かんで来ていた。
一
振動している、貨物船の中。谷山港から種子島を経由しての屋久島への暗夜航路――まだそのさなかにある旅にあって、この旅について何か書けるとは思わない、かといってこの旅以外のことについて書く気などさらさら興こらないのである。
六日月はまだ西の空に残り、星は東京の夜空ほど。旅客室の時計の針は9時25分を指している。この旅を始めてから明日で十日目となる。壱岐から始まり、長崎、佐世保、博多、天草、熊本、高千穂、都城と来た。屋久島より南へはいまのところ行かないつもりだ。
「どうして壱岐へ」。島の南東、印通寺港へ入り、西へ郷ノ浦まで歩き、そこからバスで島の西北西にある湯本についてすぐ駆け込んだパン屋・小麦の奴隷のお姉さんに訊かれた。
「なんとなく…」
ハキハキさんは苦い顔をした。(東京者め…)そんな心が読めた。たしかにテレビ番組でおなじみの訪日者へのインタビュー調で尋ねられたのに、ほんの一瞬だけだがむっとしたかもしれない。コンマ何秒の沈黙のなかで、いろんなことを考えた。なんとなくでかわしたつもりはない。なにより、そんな風に扱ってくれるなよ、とおもった。照れ隠しをするにはこの旅行者の心は荒みすぎている。
旅の動機は、旅の中でしか摑めない、それとて流砂のようにしたりおちる。
島でようやく得た食料は ベーカリー「小麦の奴隷」
彼女は「どうして壱岐に」 思い巡らせ 「なんとなく」
(東京人はしれない)そんな顔をする
3つのパンは次の日へ送り 海老館の夫婦に食事処をきく
寿司・割烹「しな川」 素手で平らげる、はじめての栄螺も
外に出てから〝食いっぷりがいい〟中でそう言われた気がした。
宿はさっきバスの運転手さんが降りてまで指さしてくれたところ
玄関口でエディプスの小劇、
「なに言ってんだかさっぱりわからない」
海老館のだんな ぼくはあなたと話がしたかったのだ、
印通寺ちかくでであった最初の島人、
ガソリンスタンドのお父さんとのように
なんとなくやって来た
そういう者になれれば
種子島に着いた、船からは降りられない。ここで朝まで停泊する。貨物が運びだされるのでまだ揺れる。港よりの先は島の夜だ。音のようにしか見えない。目をつぶれば入ってくる。今夜はおまえと添い寝だ。
港についたら月は隠れ、星は消えた。灯りか雲かわからない。書きたいことなどない、旅に出た動機はわからない、目的地もない。停泊を知らぬ心がただこうさせる。詩もほとんど書いていない。
いまある思いといえば、「還りたくない」。あともう少しで幻想の外に出られそうな気がしている。人になるのだ。
なりたくて東京人になったわけじゃない。おれはおまえらの未来、あるいは拒否した未来をいきてるんじゃない。東京を都としているのはあなたがたの心じゃないか、吊し上げもいいとこだ。
田舎者の沈黙はあんまり饒舌がすぎるとおもう。おまえらみんな、ずるい。
二
夜明け。種子島を出てしばらく経つが島はまだ続いている。旅客室はいやなニオイがする。乾燥で脂汗がへばりついている。
ずっと海の上にいれたらとおもう。旅を栖とす、とはまだまだ言えない。ほかのひとたちはまだ寝ている。みな、屋久島を目指している。火乃絵はそうじゃない。奄美へ乗せていってくれる船があるなら、乗るかもしれない。もう金がないのだ。食べ物も尽きる。
ぼんやりと屋久島の影が立ち現れてきた。ポメラを外に持ってきて書いている。山の中腹に雲が棚引いている。左にはまだ種子島が舌のように延びている。隣人であるのに、形がまったく違う。屋久島は鬼のような貌をしている。火乃絵は恐怖がほしかったのかもしれない。船が吸い寄せられている、大きな口に呑み込まれそうだ。壱岐ともぜんぜん違う。それにここは人生最南端だ。南西諸島の入り口。南島の扉をこじあけたら何が出てくるか、いや、門は開かれている。あけてもあけても続くのかもしれない。それでも。
鈍いエンジンの常音を包むように、さわさわ小波が取り巻いている。すーっという音もきこえる。流されて来たようだ。見えない帆がある。それは黄色くて白い。港がみえてきた。連れてきた二人を起こしにゆく。
島の肌が少しずつみえてきた。なんだこの島は。既視感がまったくない。こんなに近いのに、島そのものが異界。ようやく飢えが満たされそうだ、こちらが食われる番か。ドキドキしている。退屈はぶっ壊された。
思い出した、このポメラで最初に創作をしだしたときも、こんな感じがした。もの書きはいつでも異界を目の前にしていなければならない、近づきすぎて見えなくなっても、極小の事物に鼻をつける。
島が咲いて来ていた。
〈了〉