書字方向について、日本語だけでなく、世界の言語も視野にいれたうえで書いてみようと思ったが、本4月号には間に合わなかったため、現在時点で考えにあることを執筆メモというかたちで公開する。議論がおこるべき問題であるとおもうが、わが日本語では、縦横についてそれぞれ、『縦に書け!』石川九楊、『横書き登場』屋名池誠の二冊しか一般に手に入る書籍がない。約千五百年以上にわたって縦に書いてきた民族の文章が横書きになるというのは天変地異に等しい事件とおもうが、この沈黙はそれ以上の奇蹟だろう。──
わたし自身、まったく答えの出ていない問いが多い。「偏向」上で、とりあえずは議論の場をつくろうとおもうので、以下の考察断片に異議や、新しい考察などあればhenkou65@gmail.comに送ってほしい。次号以降に整理して原稿化する。あまりに文献が足りていない。
4月号において、このような募集をかけたところ、読者のひとりより以下の投書を賜った。まさか再始動後すぐにこのように読者との交流が生まれたこと、先陣を切ってくれた方に感謝したい。
この投書の中でなされているAIを利用したWebメディアでの続き字生成のアイディアは、前号にひきつづき、本号でわたしが書こうとしていた「縦書きについての覚え書Ⅱ」での、平安期におけるひらがなの発生(ひらがなは、毛筆によって漢字を崩してつなげて書くところから生まれた)と交わる内容で、興奮した。書家=石川九楊さんの『ひらがなの美学』という本をとおし、それまでまったく読めなかった呪文のごときひらがなの続け字の書が、気づけば読めるようになっていたという体験をもつわたしだが、活字は活字、手書き文字 は手書き文字と、どこかで二元てきに凝り固まっていた。だから、活字と手書き文字の間をスラーにしてみないかというこの投稿者の発想には大いに啓蒙されることになった。─
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縦書きに特化した web メディアという試みについて思うところがあり投書させていただく。メモ書き程度のものだが、縦書き web メディアの可能性を考える際のアイディアのひとつとして受け取って貰えれば幸いである。
結論からいうと、web 上で続け字の書体で文章を書くことができたら面白いのでは、という提案をしてみたい。
自身含む多くの日本人がたかだか150年前に書かれた文章を読むことができないという文化的貧困状況にある。江戸時代には既に出版文化が花開いていたのであり、これらを直接読むことができない、というのはなんとも悔しいというか勿体ない。web 上で続け字を読み書きする場が提供され、触れる機会が増えれば文字通りリテラシーが向上するだろう。古文書を活字に変換するアプリはすでに一定レベルの物がすでにあるが、こと〝書く〟という体験を実装するものは私が調べた範囲では見つからなかった。
なぜ続け字を読めないのか、と考えるとそれは教わっていないからである。ということはこれは権力の問題であることが分かる。どの文字が読めてどの文字が読めないのか、は学校でその文字を教えるのか教えないのかという境界線とほぼ一致するだろう。文字という文化の基礎からして既にきわめて政治的であることの一例である。
続け字は明治時代の途中から学校で教えなくなった。近代化のためである。近代化とは即ち活版印刷技術のことである(暴論)ので、活版印刷に適さない続け字は日本から排除された。明治政府は近代化のために過去の文化をすっかり捨て去ってしまった。
それからはもうずっと天皇制よろしく楷書体でやってきた訳だが、今や web の時代であり、状況が変ってきた。html は紙に印刷されることを前提にしていない。ということは html 上に文字を書く場合、楷書体にするのか、続け字にするのか、というフォントの問題は無くなったと言える。問題なのは続け字のフォントがない、ということである。
続け字フォントの作成には難点があると思われる。ひとつはフォントをつくるだけではうまくつながらないだろうということ。続け字を書く際に字をどのように繋げるかという調整は連続する文字の字形に依存するので、アルファベット等に比べて文字種が圧倒的に多い漢字を含めるとなると、この調整(タイポグラフィの用語では Ligature と言うらしい)に多大なコストがかかることは想像に難くない。ふたつめはフォントを創ることがそもそも大変だということ。繰り返しになるが日本語フォントを実装する以上漢字を避けて通ることができないからである。
そしてこの問題はおそらく生成系 AI で解決することができる。崩し字データセットが公開されている(http://codh.rois.ac.jp/char-shape/)ので、これを学習させれば崩し字フォントは出来てしまうだろうし、文章全体のバランスを調整するといった処理を加えればクオリティの高い続け字書体の文書を生成できるだろう。
というわけで、縦書き+続け字書体メディアの実装は、やってみれば出来そうだなというレベルのものである。最初の方で続け字が読めないのは文化的貧困であると書いたが、別に私はこの文化的貧困を本気で問題だと思っているわけではなく(いや、少なくとも問題であるとは思っているが)、web メディアの可能性を表現する手段として、活版印刷技術からの、そしてその技術が生み出した時代からの変遷を書体というレベルで表現できないか、ということを考えてみた次第である。(20代・男性)
[左は投稿者より添付された、続け字の画像サンプル]
続け字とは、上図や先にも記したように、毛筆と水墨によって、紙や木簡などに文字を続けて書いたものである。フェニキア文字など、まだ木簡や紙、筆と墨の発達しない古い時代に、岩盤や石板に刻み込まれた文字は、道具の性質上、続け字を持つにはいたらなかった。古代中国で発達した漢字も又、亀の甲羅などに入った罅をもとに、やがて人間の手で掘られるようになったものであり、刻みの形態を楷書のうちに遺している。繋げて書かれるようになったのは、唐代になり狂草とよばれるスタイルの発達とゝもにであり、これを真似てゆくうち、平安朝初期百年の歳月のなかで、だん〳〵とひらがなが生まれることゝなった。発生のなりゆきからして横書き化は出来ない。ちなみに、この〳〵は踊り字とよばれるもので、活字のうちに遺されたほとんど唯一の続け字の名残だろう。現在でも、中公文庫の谷崎潤一郎などでお目に掛かることができる。[白石註記]