猫の目

益田伊織

書く時間がなかったので、予告篇だけ。


 スマホ一つで誰もが簡単に写真を撮り、編集することができる時代。インターネットを通じて、無限の画像アーカイブにアクセスすることができる時代。私たちの生きる時代をそのように呼ぶことができるとすれば、このことは私たちの時代がまた、かつてなくイメージの扱いに習熟し、それと豊かな関係を取り結ぶことのできている時代であることを意味してもいるだろうか? 私には必ずしもそうとは思えない。

実際、何かがあまりに無尽蔵に、あたかも自明のものであるかのようにして提供されるとき、人はそれを価値づけたり、それについて丁寧に考えたりといったことをしない。むしろ逆に、自堕落な仕方でそれを所与のものとみなし、何らの批判もなしに受け入れてしまう。私たちの時代においてもまた、進歩しているのは技術ばかりで、イメージを受容し批判的に検討するリテラシーの方は追いついていないのではないか。

そうした漠然とした問題意識を踏まえ、イメージとの創造的な関係を再発見するために何ができるかについて考えてみたい。次回は二十世紀前半の思想家・美術史家の思索をとりあげ、写真印刷が広く普及し、イメージの受容における新たな段階が始まった時代に、どのような思索がなされていたのかについて書こうと思っている。とはいえ論文のように固い文章になってもつまらないので、私なりにそれを咀嚼して取り組んだゲームの成果物(?)を最後に載せる予定だ。

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