生成AI時代に読む『言語にとって美とはなにか』

白石火乃絵

ひゅーひゅーの青空に 星がまたたくころ
なにかいいかけて だまってしまったね
ことばにする前の その前の前の 胸にあるきもち
「赤いくちびる」忌野清志郎  

言語、美やめるってよ(連載のための覚書 全5章♡)


♡愛引くゼロ割る際限なし(終章⭐︎前篇)固有名詞は音楽のように!


 読む、といいながらいっこうに本体の出てこない『言語にとって美とはなにか』ですが、さきの引用(前回分を読んでいただかなくとも今回分だけで次第に分かるように書いていきます)にもあるとおり、この本は一九六一年九月から六五年六月まで「こう」という直接購読制(誇張すると主宰の吉本隆明よしもとたかあきさんチに読みたいと言いに行ってう仕組みです笑)の同人雑誌上で連載されました。

 面白いことに、この一九六五年六月ですね、『げん(以下同じように略します)の完結を引き継ぐかのように、ばやしひでというニホン近代文学史上で最初に批評家とよばれた人の最後の作品にしてライフワーク『本居宣長もとおりのりなが』の連載が「しんちょう」という文芸雑誌上で始まりまして、約一〇年つづきます。

 この本、タイトル通り本居宣長という人についての本なのですけど、内容から代わりになる題名をつけてみますと『言語にとって美とはなにか』ということなんです。あえていえば、吉本さんの方は、自己じこ表出ひょうしゅつ(こちらも前回分を読んでいただかなくとも今回分だけで次第に分かるように書いていきます)を前提として(じっさい〈自己表出〉とはなにかという説明は書かれていません)、表現の理論を打ち立てているのにたいし、小林さんの方は、とにかく自己表出たましいが大事なのだ、じぶんは自己表出たましいでもって本居宣長という人にとことん付き合う、とそういう本になっています。

 小林さんに、吉本さんへの明らかな言及というのはなく、吉本さんの方では、『本居宣長』への悪口はたくさんいっている。そして、暗に『本居宣長』や小林さんの発言のなかに吉本さんや『言美』へのあてこすりがある、と吉本さんは書いています。さらには、『本居宣長』には、『言美』の達成(つまり敗戦直後からの吉本さんの頑張り)を全否定するモチーフさえある、と言う──それでも断言します、『本居宣長』こそ小林さんから『言美』への超絶チョーゼツ頼もしいバックアップだと。

 吉本さんはご自身なにより詩を書いた人ですから、〈自己表出〉というのは、もう自分の存在そのものといっていいほどあたりまえのものでも、六〇年代、言葉はすでに〈自己表出〉なき指示しじ表出ひょうしゅつ(こちらも前回分を読んでいただかなくとも今回分だけで次第に分かるように書いていきます笑)の拡散のうきめにありました。かたによれば語彙ごいが爆発てきに増えたりしていたわけです。よくわからない学術用語やカタカナ語をじゅんせん世代(1945-)の「戦争を知らない」学生たちがぺらぺらぺらぺらはなしていた。

 マ・わたしたちの現代でもあまりかわりありません、むしろしんよくやリベラルが、フランス現代思想などといっしょに没落ぼつらくしてちょっとマシになっている(笑)。とはいえ、ひろゆきさんの「論破」が少し前に流行ったり、SNSの炎上などは今日なおさかん、言語は美を見失っています。

 一九六〇年代というのは、ヨーロッパでもアメリカでもやっぱり議論がはやっていたのですね。議論が始まるといつでも美はひっこむ。六五年に発表されたボブ・ディランの歌に「Love Minus Zero/No Limit」(愛引くゼロ割る際限なしラヴ・マイナス・ゼロ・ディヴァイディド・バイ・ノー・リミット)という奇妙な題の傑作があります。

My love she speaks like silence (わたしの愛する人は、沈黙のように話す)
Without ideals or violence (理想も暴力もなしに)
She doesn't have to say she's faithful (じぶんは誠実だと断る必要がないし)
Yet she's true, like ice, like fire (それでも本物、氷みたく、炎のように)
People carry roses (人々はバラをたずさえて)
Make promises by the hours (時間刻みで約束して行く)
My love she laughs like the flowers (わたしの恋人は、花々のように微笑む)
Valentines can't buy her (世のヴァレンタインどもは彼女をあがなうことができない)

 やぼですけど、ここの〝恋人She〟というのは美の擬人法ともとれますね。次のヴァースも、

In the dime stores and bus stations (百円ショップやバス停で)
People talk of situations (人々は状況について議論する)
Read books, repeat quotations (本を読んで、引用をくりかえす)
Draw conclusions on the wall (壁にあれこれ結論をかく)
Some speak of the future (ミライをカタるのもいる)
My love she speaks softly (わたしの恋人はやわらかく話す)
She knows there's no success like failure (失敗ほどの成功はないと知っている)
And that failure's no success at all (そしてその失敗はまったく成功サクセスではないことを)


 突然ですが一九六五年に録音された音楽家ジョン・コルトレーン(1926-1967)のリーダー作品をすぐ後にならべておきます。この年、コルトレーンのクインテット(ドラム、ベース、ピアノ、サックス四人編成)は解散するのですが、夜九時からクラブでの演奏を始め、六、七時間狂奔し、明け方に終奏、その昼には新作レコーディング、という情熱のありよう。

 世界同時多発てきな革命やデモの「政治の季節」といわれる六〇年代ですが、いっぽうで藝術方面においてはラジカリズム(年代末には多くのミュージシャンや藝術家が夭折ようせつしています)と、ビートルズやモータウンやボサノヴァやシャンソンの大ヒットに象徴される大衆迎合ポップ路線が、同時に受容されるといった稀有けうな混乱のさ中にありました。

 あえていえば理想派(「ここではないどこか」のナイモノネダリ)と享楽派(「今宵よければすべてよし」のSex, Drug, Rock n' Roll)がたえず観念の量子テレポーテーションをくりかえしていた世界です。誠実な男がすすんでズベ公のくるぶしに頬ずりし、箱入り娘が風来坊にパンティを投げかける。最悪と最善が四畳半でGo-Goの紅茶をこぼしあっていた、手に手はとらず。人口は密集しているのにバラバラ。六五年のディランの歌がなによりこの時代の実感を表わしています、

I'm not sleepy and there is no place I'm going to (眠くはない、そして行くところがない)(「Mr. Tambourine Man(それゆけ、タンバリンマン」)

 一言でいえば〈自己表出〉が見失われていくさいごのとき、そういうときこそいたましく〈自己表出〉が堕つ星の尾をひきもした。

『カルテット・プレイズ』(五月)『トランジション』『リヴィング・スペース』『アセンション』(六月)『サンシップ』(八月)『ファースト・メディテーション』(九月)『セルフレスネス』『オム』『クル・セ ・ママ』(十月)『メディテーション』(十一月)他ライブ盤も充実

 一年でスタジオ・アルバム十枚です。七月の「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」では、コルトレーンの一八番おはこ「マイ・フェイヴァリット・シングス」の名高いバージョンが生まれたりもしています(『セルフレスネス』所収)。個々の作品は素晴らしい、全体としては痛ましい方向喪失……。時代の鏡。この蠕動ふるえを調和させる天球の一点はまだ見つかっていない……

 二年後、コルトレーンの没す六七年に、ジミ・ヘンドリックスが異国イギリスにて鮮烈なデビュー、のち祖国アメリカに凱旋がいせんします。そして三年後、二七歳で急逝するまで、コルトレーンには間に合わなかったエレクトリックの力とともに、現代とアフリカの原草原との風のかよい路を暗示した……

 この六五年に『言美』をものにした吉本さんは「試行」の次の号から、九七年の終刊まで、三〇余年つづくことになる「心的現しんてきげんしょうろん」の連載を開始します。そして終刊に合わせ、余った会費から直接購読者へ『アフリカ的段階について』という本が贈られます。言語は遅いですが、それでも、コルトレーンの二個上の二四年生まれの吉本さんもやはり〈六〇年代〉と運命をともにした人とわたしは思います(そのキーワードが〈アフリカ〉です。)


 さて、コルトレーン(師にして盟友マイルス・デイビスも同い年です)や吉本さんとは、親子ほど離れた一九〇二年生まれの小林秀雄さんですけど、さきにいいました『本居宣長』を六五年から連載開始します。はい、この本、その内容からまた別の題をつけてみますと、『アフリカ的段階について』ということにもなる。

 小林さんは二八歳のとき、初めての本『地獄の季節』(いまでも岩波文庫で重版されています)という仏語詩人ランボォの飜訳ほんやくを世に問います。もうスタートのとこから〈アフリカ〉という方向が示されているのですね。本居宣長というアジアの島嶼人とうしょびとは、学問によって〈アフリカ〉に至った。これが六〇代の小林さんの言いたいことだったのでないかと、わたしなどは受け取っています。

 いったん、この〈アフリカ〉というのを文字以前の階層フロア、もしくはGod(もしくは〈時間〉)以前、神々(と声ことば)のたえず生まれ出でる原場フィールドといっていっておきたい。

 文字以前ということは、法律も制度もない、〈近代〉(ときに現代)にとっての〝地獄〟です。前章♡でもいいました、〝男女の地獄〟というのもまさに肉体のありどころ、〈アフリカ〉的段階ということでした。小林さんはランボォに「叩きのめ」されたといっておりますけど、いやいや、かの有名な三角関係の恋愛こそ脳髄のうずいにからだがそうろうしていたようなこの文学青年を「叩きのめ」した。

 よくよく読んでみますと、『本居宣長』はアタマからケツまでびっつり恋愛論です。冒頭に、

 本居宣長について、書いてみたいという考えは、久しい以前から[わたしの読み方ではもう『地獄の季節』を世に問うた若い頃から、とか、前前前世から(笑)とかいうように聞こえる]抱いていた。戦争[第二次世界大戦]中の事だが、「古事記こじき」をよく読んでみようとして、それなら、面倒だが、宣長の「古事記こじきでん[「古事記」(だれも読めなかった)の世界初の註釈﹅﹅作品]でと思い[その理由は語られていない]、読んだ事がある。それからまもなく、折口信おりくちしの[〈アフリカ〉的段階に現時点でもっとも深く想像のしょくを広げることのできた学者/詩人]の大森のお宅を、初めてお訪ねする機会があった。話が、「古事記伝」に触れると、折口氏は(中略)いろいろ話された。浅学せんがくな私には、のみこめぬところもあったが、それより、私は、話を聞きながら、一向に言葉に成ってくれぬ、自分の「古事記伝」の読後感を、もどかしく思った。そして、それが、ほとんど無定形な動揺する感情である事に、はっきり気附いたのである。「宣長の仕事は、批評や非難を承知の上のものだったのではないでしょうか」という言葉が、ふと口に出てしまった。折口氏は、黙って答えられなかった﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅私は恥かしかった。帰途、氏は駅まで私を送って来られた。道々、取止めもない雑談を交して来たのだが、お別れしようとした時、不意に﹅﹅﹅、「小林さん、本居さんはね、やはり源氏[『源氏物語』との関わり方、その仕事etc.]ですよ、では、さよなら」と言われた。[太字、傍点引用者]

 
 さいごのとこですけど、この場に居合わせていた折口さんの最後の教え子おか弘彦ひろひこさんの回想によれば、一旦駅の階段下で別れた後、折口さん、下から上にいる小林さんの背中に大きな声で呼び止められて、そのまま、なんといいますか、山びこの「やっほー!」というみたく、「本居さんはね! やはり源氏ですよ!」と、ほとんど叫ばれていたそうです。

不意に﹅﹅﹅〟というのは、声に背中を叩かれた小林さんだけでなく、隣にいた岡野さんにしても、折口さんがときおりおみせになったという瞬間のいきどおり﹅﹅﹅﹅﹅(かならずしも「いかる」というわけではありません)といいますか、そのことをいうかいわないかに自他の命運がかかっているかのような、それだけに言葉がざっしり汗かいていた……そんな気がします。

 そうしますと、この時、小林さんはこの折口さんのたんをしっかり記憶しながら、どこか水底からきいているような、自らの沈黙の厚みのなかにいたということになる。そういう時、どんな人の言葉も遠くきこえる……。自己たましいに集中するとき、人は耳遠みみとおになるほかない。

 折口さんは、小林さんがこの来宅の折すでに自身の夢(モチーフ)の中にいることがよくわかっていたので、言うか言うまいかおもいまどい、たんで、それでも、と、水底にも届くおらび﹅﹅﹅でもって、物理てきには水中の方が音の伝番ははやいですが(笑)、あとあとになって響いていく、短くて含みのある、わかれの言葉を叫ばれた……いまだに響いています。


 水を差すようなことをいえば、まず異能の学者として折口さんからしてみると、宣長の古事記のみ方(古事記はひらがな﹅﹅﹅﹅のないときの本なので、舶来はくらいの漢字をつかい、むりくり「猶所思看吾既死焉」などと書かれていて、これをどういう音で口にだしてめばいいのかわからない。漢文のようにみえるが、内声ないせいぶんでできている。たとえばこの文を宣長は「なほはやねと所思おもほなりけり﹅﹅﹅﹅まをして(申し上げて)」と訓む、「とまをして」は次の文とのつながりから補完しているが、「なりけり﹅﹅﹅﹅」という助動じょどうにかんしては、『本居宣長』での小林さんの言い方では「ここに明らかなように、くんは、やまとたけるのみことの心中を思いわたるところから、定まって来る。『いと〳〵悲哀カナしとも悲哀カナシき』と思っていると、『なりけり』と訓み添えねばならぬという内心の声が、聞えて来るらしい。そう訓むのが正しいという証拠が、外部に見附かったわけではない」となる)は、ずいぶん新しく、だいたい『源氏物語』のニホン語と同じ(平安中期〜鎌倉初期)、雅語(やまとことば)できれいによみすぎるので、編纂へんさんされた奈良時代には、むしろ現代に近く、漢音カンオンを交えた訓み方をしていたはずであり、それでも新しいので、小林さん、宣長さんも古事記もあなたの夢見ているほど文字以前の〈アフリカ〉には届いていない。

 ようするに、『古事記伝』は、古事記を『源氏物語』の音と感性とで訓んだ宣長さんの作品﹅﹅であって、〈アジア〉的段階としてみていかないとあやまつ、そう考えておられたのでないかとおもいます。くん学では〈アフリカ〉に届きえない……(音楽の、しかもアフリカの血を濃く継ぐコルトレーンでさえ原始〈アフリカ〉の草原は、せいぜい幻聴することしかできなかった……「ジャズ」は民族音楽と西欧音楽理論の相の子で、後者はむろん書き言葉の記号化の結晶としてある)。

「学者としては」といいました。つまり〈指示表出〉りょうけんですね。ここで小林さんの〝ふと口に出て了った〈自己表出〉の「宣長の仕事は、批評や非難を承知の上のものだったのではないでしょうか」が響いてくる。つまり、これからじぶんのしようとしている仕事(『本居宣長』)も、ということです。


 さて、折口さんは学者である以前に、詩人です。小林さんの〈自己表出〉にたいして、今度は〝黙って答えられなかった﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅〟。するとさいごの「本居さんはね、やはり源氏ですよ」は、小林さんの〝恥かしかった〈自己表出〉にたいする、折口さんの〈自己表出〉による返答です。これは〝色々話された〟とは書かれない。しかと、最後の仕事(『本居宣長』)の冒頭に据えられる。前々章♡の言い方では、〈りくつナシ〉です。

 これは聴き手が小林さんだからこその、小林さんだけに届く、と信じられた言葉であって、また、折口さんの意図つもりとも、小林さんの受け取り方にも還元されない﹅﹅﹅﹅﹅﹅、なんといいましょうか、言われて了った言葉です。了ったことによって、生き死に蘇る言葉です。じっさい、折口さんも小林さんも、すでにこの世に生身で生きておられません。〈りくつナシだからこそ消えてくれない

 この短い科白せりふのなかに、折口さんの胸中にふきだまっていながら、ついに上手に言われずに了った、それでいて伝わると信じ、賭けられたはちきれんばかりの沈黙を想像することができる。ぶいきに文字にすれば(なりませんが)「小林さん……」すみません、やっぱりなりません。

 埋め合わせというのはでないですけど、さきの最後の弟子の岡野弘彦さんが折口さんと鎌倉のみょうほん寺を歩いていると「ほら、これがあの『中原中也の思い出』にある、小林さんと中原[中也]さんが二人で眺めていたという海棠かいどうだよ」といわれて驚いたというエピソードを紹介しておきます。

『本居宣長』という文学作品﹅﹅﹅﹅の最初の登場人物が折口信夫ということ、約一〇年沈潜ちんせんされたこの最後の仕事が、「本居さんはね、やはり源氏ですよ」という〈自己表出〉への、〈自己表出〉による、折口さん没後約一二年後から書き継がれた時を超えた応答であるということは強調してもしすぎることはありません。

 つい註釈ちゅうしゃくつきで引用してしまいましたが、一見さらっと書かれているかのようにみえる巨匠の名文ゆえ長く等閑とうかんに附されてきたのでないかとわたしなどにはおもえる。「だが、これを平明な文と受け取るだけでは済むまい」これは六三歳の頃書かれた、いかにも晩年の小林さんらしい平明な文体であって、「文体は平明でも、平明な文体が、平明な理解と釣合っているわけではない。文体というものは、はっきり割り切れた考え方では捕えられぬ、不透明な奥行きを持つ」。

 くちすっぱくいいますが、〈自己表出〉の文章は、けっして書かれてあるとおりの意味には還元されません。うれしいということを「悲しい」とかく。むかし男ありけり「今だけは悲しい歌 聞きたくないよ」と歌えば、「私、死んでもいいわ」と子猫のように女が鳴く。応答はすでにその始まりに、たんと打ち出されている。『本居宣長』の書き出しの文体がそれです。

 私事になりますが、わたしはこの導入をよむたび、日藝ニチゲイ校舎の武蔵野のブラッドオレンジがむらさきに底上げされていくおうどきに時空のたわむ屋上喫煙所や、居酒屋「乃がた」から出た終電前の江古田のくろくて寒い路地でことあるごと師匠にいわれた、短くて長い花向けをおもいださずにいられません。「白石、文学だからな」「文学だぞ……」。

 かくいうわたしは、前回の連載分を仕上げ5月号を出してからのこの一ヶ月、昼間はCDを聴き、よもすがら近所の埋立地の森へ行き、楽器に浮気をしていました。音楽を文学のように読んでいるのか、文学を音楽のように聴いているのか、昔からわかりません。師匠の方でも、三〇代一〇年、土方ひじかたたつみさんやおおかずさんとの出会いから舞踏Butohと恋愛していた。ですが、舞踏のひとたちの中にあっても、いつも文学として居られた。

 わたしは文学よりさきに音楽、それより前に祭がある。いや、祭と恋との三角関係でした。祭というとこで、師匠とたもとをわかつこととなった。わたしのこの祭というのが師匠からすると不可解だったらしく「悪魔につかれてるんじゃないか」と真剣にきかれたこともあります。「文学だぞ」というのには、もとより文学におさまりきらないわたしをどうにか押し込めようとされた、祈りにまで達する痛切なひびきがありました。

 でもそれだけじゃない。文学はもうおれとおまえのいるここにしかない。いいか、よくきけ。ここが切れたらあとは虚無だぞ……マ・心浅く忘れっぽい親不孝者ですので、これくらいはここらで文字にしておいてもよかろうかとおもいます。師匠の自己表出いのりはこんな愚物にとってしか意をなしません。けれど言われて了った。

 パンクの邦題をかりれば、自己じこ表出ひょうしゅつとはいつでも「勝手にしやがれ!」なんです。すみません、気がたかまると、ついボブ・ディランのうたが口をついてしまうので、

Somebody's got to find your trail, I guess it must be up to me 「Up to Me」

だれかはあなたの足跡をみつける、それはきっとわたし次第」文学というのはいつでもこの一行の受苦あえてなのではないでしょうか。〽くづの花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり(釈迢空=折口信夫)〈自己表出〉はそのときどきで響きをば変えます。ひとの胸に蘇るごと新しく息を吹き返す表現を伴う。

 また折口さんにこんな歌があります、〽︎イチギャウの文学をだに なさゞりしことを誇りて、命過ぎなむ 「小林さん、宣長さんはね、やはり源氏ですよ」はこの歌と同じ海底わたそこから噴き出してくるのです。文学は暗号や秘教ではありません、だれにでもひらかれている、ただし〈自己表出〉を持つ者だけに。「弥陀みだこうゆいの願をよく〳〵案ずれば、ひとえに親鸞一人しんらんいちにんがためなりけり﹅﹅﹅﹅」これが文学の心です。


 われながら今回とっちらかっているのはわかっています。本篇に入る前、ここでは問題ていきしておきたいのです。「文学ぶんがく」とはいいますが、「学」は一旦おいておくとして、「文」とはいったい何でしょうか。これすごくやっかい﹅﹅﹅﹅なんです。上手に質問しないと質問じたいに足を掬われる。

〈ポストモダン〉といわれる人たちがきらう「否定神学」(「ゲンロン」のあずまひろさんのデビュー作兼博士論文の『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』がこの「てい神学しんがく」という言葉を少し有名にしました)のやり方であえていいますと、まず、「書き言葉」という意味でない。「文学」といえば、字で書かれた言葉の、などと思いたくなってしまいますが、たとえば一八世紀のフランスのとある日の新聞記事は、歴史学や社会学の対象とはなっても、もしくは小説や詩のモチーフや素材とはなっても、そのままでは「文学ぶんがく」のお相手になりません。

 なら「」とは何でしょうか。「文字」というとき、じっさいは「字」とだけ言えばいいが、頭に「」がつく。「文化」や「文明」というとき、「」とは一体なんでしょうか。いま悪い質問の仕方をあえてしています。

 もっとわるくすれば、さきの〈ポストモダン〉、というかフランスの「現代思想」と呼ばれる第二次世界大戦後の冷戦下に流行した人文学の「ある種の」(笑)人たちの好んだ用語〈エクリチュール〉というのがこの「」に近いかもしれない? ですが、こういう言葉は、ほんとうはすごく簡単で難しいことを、ふもんにふし、その根っこのとこでなく、枝葉のとこで議論の徒花あだばなをさかせるのがとくいなのですね。

 やっかい﹅﹅﹅﹅といいました。いまわたしは右にその災悪を自作自演してみたのですが、も少し続けますと、だいいち「文学ぶんがく」というニホン語ですね。中国の漢字を、我流につかい出来たニホン語です。「ブン」も「ガク」も、もとからこの列島にあったおとでなく、中国のある時代ある場所で使われていたオンからの借り物です。借り物も千五百年とか使っていたらもはや自分の持ち物といえますよね。

 さらにやになるくらいやっかい﹅﹅﹅﹅なことに、「文学ぶんがく」という言葉は明治時代に、欧米の、便べんをはかって英語にしときますが、「Literature」という言葉=概念を輸入するときに、またもや漢字を利用してつくろった翻訳語です。『源氏物語』はむろん平安時代からありましたけど、いまの「文学ぶんがく」という概念であったわけでない。

文学ぶんがく」という言葉をわたしたちが使うようになってから、あらためて、『源氏物語』は「文学ぶんがく」だ、という言われ方がされるようになる。シェイクスピアやシャーロック・ホームズが「文学ぶんがく」というなら、『源氏物語』も立派に「文学ぶんがく」じゃないか、とそういうりくつです。そろそろ質問の仕方を変えましょうか。

 わたしたちはべつに「文学ぶんがく」という言葉の由来や定義がわからなくても、なに不自由なく、好き嫌い、無関心、泥沼……のちがいはあれど、ある程度の年齢になれば、「それ何?」となることなく、ああ「文学ぶんがく」ね、とおのおのの了解をもって生きている。「音楽」だろうと、「哲学」だろうと。

 だから、じぶんに尋ねてみればよかったのでした。お前はどういう風に「文学ぶんがく」という言葉を理解していて、そのとき「」とは何だろうか、と。わたしのばあい、それは「Literature」、具体的には『カラマーゾフの兄弟』や『銀河鉄道の夜』に出会う前からそこにあった、つまり、それらに還元できない何か﹅﹅だったとおもいます。その何か﹅﹅に響いてくるからこそ『カラマーゾフの兄弟』や『銀河鉄道の夜』をわたしは「文学ぶんがく」だとおもえる。

 そこに感動できる言葉があった。べつに小説や童話でも、本の中でなくとも、歌でもゲームでもアニメでも、家族や友達や好きな人から言われた言葉でも、そういった感動をもたらす言葉こそが「」の正体なんじゃないか、すると、そういった言葉を噛みしめたり、その根に想像をめぐらしたりすることがわたしにとっての「文学ぶんがく」といえそうだ。問われていたはずの「文学ぶんがく」こそが「言葉がわたしを感動させるのはなぜか」という一行の質問だった(笑)。

 だっておかしいじゃないですか。だれかと意思疎いしそつうしたり、労働を円滑スムーズにすすめるために言葉があるなら、「感動」とべんりなので一言でいいましたが、言葉が、わたしを慰めたり、はんたいに傷つけたり、この人生ライフを生きるに足るものと思わせたり、身投げを考えさせたり、えもいわれぬ美を感じさせたり、ときに発情(笑)させたりするのは、〝余計な物〟(サルトル『嘔吐』前出。)といいますか、機能てきには「バグ」といえませんか。なんだかコーリツわるいといいますか……。

 いやときにおそろしくコーリツはいいので、正しくは原子力みたいに制御不能なかんじ(笑)。意図せぬところでひとを傷つけたり、一言で積み上げてきたキャリアを喪失したり、詐欺にったり、しゃべれなくなったり。人類が言葉をおぼえてからだいぶたったとおもいますが、今日でもぜんぜん手なづけられてるかんがない。揉め事といえばカネか情事か言葉か、です。

 さかてにとっていえば、もし言葉が、わたしを傷つけなくなったら、そのときこそ「文学」は完全に死に絶える。「言葉のナイフ」という言葉がありますが、なんでただの有節音声の空気の振動が、エアカッターというのでもなし、刃物のようにわたしを傷つけることがあるのでしょう、「Beauty walks a razor's edge, someday I'll make it mine (美は刃の上を歩く、いつかきっと手に入れてやる)」とまたしてもディランの詞が口をついてしまいます。

」ということをあえていえば、このディランの詞のように、紙の上でなくて、わたしの胸に刻まれて、消えてくれない、ことあるごと口をついたり、その意味あいや響きを変えたりして、わたしを励ましたりする、よくわからない物﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅のことだといえるのでないか。

 ニホン語にはべんりなことに、「文」と書いて「あや﹅﹅」と読む、といったおかしな風習がある(笑)。「言葉のあや」ともいったりしますね。怪しい、と言う前は、「あや﹅﹅し」。古事記でいうとこのいざなき○○○○いざなみ○○○○の「国産み」といわれる段「あなにやし えをとめを」「あなにやし えをとこを」(「おやまあ! ええオナゴや」「これまあ! ええオトコや」)というとこの、「あなにやし」も、これがつづまって「あや﹅﹅し」というわけではないですが、根っこを同じくすると思います。

 あの『ドグラ・マグラ』を問うたゆめきゅうさくという詩人に「近代文学はすべて探偵小説である」という文句があるのですが、いまでいう「ミステリ」ですね。「」は「ミステリ」というのが、わたしとしてはなかなかぴったりくる感じがします。「久作」は「Q作」でもあって、「文学ぶんがく」は問うだけでなく、この「」「ミステリ」「なぞなぞ」を出題するやっかい者なんですね。

 しかもテストとちがって解答が用意されているわけでない(「推理小説」「ミステリ」はタネが明かされなくてはならないというルールがありますが、「文学ぶんがく」である以上、このルールは破られるためにあるといっても過言でない、というか創作はいつか破らずにおかれません)。

 ちなみに「ミステリ」の「ミス」というのは、ニホン語に訳せば、「神秘」ということです。ここでさきの「文字」「文化」「文明」という漢字二文字のニホン語を、ここでいう「」の意味であらためてみますと、それぞれ、あや﹅﹅しい字、あや﹅﹅しくなる、あや﹅﹅が明るくなる、といえそうです。

あや﹅﹅」というのは怪しいとか謎とかいう以前に、体感としては力を感じる、その感じがそのまま言葉になったという感じのする言葉(笑)というのがそれっぽいような。「文明」といえばわたしたちの現代ではやはりまだ原子力ですね。毀れた石ウランからみつかったこの謎めいた力(火)を、いちおう使えるようになり(仕組みに明るくなり)、いまはその用途や制御や処理などが問題となっているわけです。

 そして核兵器による均衡、あの冷戦下に「オカルト・ブーム」があったことは、あや﹅﹅しくなる「文化」をよく表わしていると思います。「文字」というのは記号になる前は、つまりそれをらなかった人たちが初めてみたときは、なんだかあや﹅﹅しげな力もつ、コワイ物だったのですね。得たいが知れないのに力はある以上、放射性物質と同じですよ。


 じっさい「文字」の到来は、社会に大きな物質てきな変化をもたらさずにはおかれませんでした。「文字」は「文明」でありまた「文化」を促しもしました。つまりいろんなことがやや﹅﹅こしくなった。これたぶん、あや﹅﹅こしくです(笑)。

 ひとたび「文字」にかれると、もう元に戻らないのですね。旧約聖書の創世そうせいに出てくる「知恵の実」というのは、わたしなどは「文字」にちがいないとおもいます。「楽園追放」はその使用のけっかとしてある。つまり創世記の神は、食うまでたんに口約束にすぎなかった「食うな」を、食って初めて、〈法〉として罰を与えることができるようになった。

 造物主とはいえ、〈法〉なしには力をふるえなかったわけです。「文字」を識らなければ〈法〉はない。〈法〉なきところはじはない。〈法〉のうち、その初めのほうにあるのは、親子相姦の禁止です。はじめて〈性〉にタブーということがついてきた。というかタブー以前には〈性〉は〈性〉でなかった。

 これはよういに納得のいかないことかとおもいますが(創世記には人類の親子相姦兄妹交配時代の美くしい無垢の名残りをみることができます)、〈性〉がなければ〈死〉ということもない。〈死〉という概念は、〈性〉が成って初めて生まれる。〈性〉は親子相姦が禁止され、兄妹交配が行われるようになり〈世代〉という概念とともに〈死〉という観念を人類にもたらした。それまではわたしたちのおもうところの〈死〉はなかった(創世記や古事記の人物や神々の寿命が数百年と記されているのもそのいち表現か)

 たとえば、お祖父じいちゃんやお祖母ばあちゃんは「死ぬ」と、こんど孫となって生まれてくる。三代目ということがないので〈世代〉という発想はなく、子が親なのだから、親子でない。親親親親……(この断絶が寿命として記される?)。わたしたちからするとずいぶんあや﹅﹅しい世界ですが、〈法〉〈性〉〈死〉を得たばかりの人類からすれば、帰りたくて仕方ない「楽園」でした。そこには〈法〉も〈性〉も〈死〉もなく、♡しかなかった。

 この♡を〈法〉も〈性〉も〈死〉もある「楽園」の外によみがえらせたのが聖書世界では新約のイエスでした。でもそんなことをいわなくても、♡はエクスタシーによって〈法〉も男女(ふるきニホン語では兄セ妹イモ)(もしくは親子)という垣根(〈性〉)も〈死〉も乗り越えるというのは、あるていど経験おありの方も多いのではないでしょうか(笑)。

 キリスト教の「隣人愛」というのでなく、♡のもと××チョメチョメですよ。この〝地獄〟はわたしたちをあんまり険しく傷つけるので、オルタナティヴとして、精神の愛といいますか「みんな兄弟」てきなことがいわれるようになる(ジェンダー喪失)。これがさらにらくしたところに「文字」による契約(建前上、神前での誓い)、制度としての「結婚」が来る。

 ♡からの﹅﹅﹅序列(♡に序列はない)としては、ブルータルな××チョメチョメ→「隣人愛」→「結婚」ということです。つまりは「結婚」こそがいちばん卑猥(笑)。おろかなさかしらをいえば〈アフリカ〉的段階→〈アジア〉的段階→〈ヨーロッパ〉的段階。

たまはば あひむものを、やま鹿ししるごと ははらすも

「近代詩の父」ともいわれる萩原朔はぎわらさくろう(1886-1942)が『恋愛名歌集』(岩波文庫)にあぐ万葉集の歌です。朔太郎「少女にとって、母は宇宙における最高の愛人であり、唯一の絶対の権威者である。けれども恋に目醒める日に、最初の革命が起ってくる。彼等は母に対してはんぎゃくし、その権威者の保護に対して、深い怨恨えんこんをさえ持つようになる。愛する者のたまだに合わば、我等は自由に逢う[ヤる]ことが出来るのである。母は二人の仲を妨げ、小山田の鹿田を守る如く厳重に監督しているが、何たる愚劣なことだろうという一首の意味。母親に対する怨恨と叛逆の情が尽くされている」。

 もちろん村には同世代はきょうだい従姉弟いとこばかりなので、男女恋愛の原型というのは、まず兄妹および姉弟愛です。この「小山田の鹿田守る」母の少女への監督のきびしさは親子(さきにもいったように親親です)愛の禁制にすすんでする従属/子世代への嫉妬のアンビヴァレンスにひき裂かれています。

 大きめの本屋さんか、インターネットでもいいので、ご覧になったことがなければ万葉集の原文(ふりがなつき)、もっといえば白文はくぶんを見てみてください。さきもいいましたようにひらがな﹅﹅﹅﹅は平安時代までまたなくてはならないので、漢字しか出てこないのですが、まさに「テクノロージア!」と叫びたくなる「ライフハック」ぶりです(笑)。中国人の方がみたらどう感じられることでしょうか。さきの歌「霊合者相宿物乎小山田之鹿猪田禁如母之守為裳」こころみに漢音カンオンオン読みしてみますと、レイゴウシャソウシュクブツ……これを朔太郎さん、たましあはばあいねむもの……くだされたのですね。

 万葉集の編纂者へんさんしゃが解答を用意してくれているわけでないので、正解かどうかだれにもわかりません。たとえばいまの研究書は、たまあへばあいぬるもの……くんしていたりもする。朔太郎さんは詩人としての音感から、研究者はいちおう長年の学問で積み重ねられた現行の説というお互いの立場から訓んでいる。

 これをいうとヒップホップの人に怒られてしまうかもしれませんが、レコードをスクラッチして楽器として鳴らす、これもいまでいう「ライフハック」でないでしょうか。フェンダー・エレキギターを作ったレオ・フェンダーは、ジミ・ヘンドリックスの奏法をみて「使い方を間違ってる!」と激怒なさったそうです。中国人の方も、万葉集に怒っていいはずです(笑)。

 わたしたちも寿司をフォークで食べられるのにはきっと反感を覚える(箸で食べるのもいちおう江戸ッ子四代目のわたしなどは反対ですけど)。でも奈良時代の先輩たちは寿司を中国箸で食った、すなわち、うたを漢字を借りてんだんですね。ところで一九六五年のボブ・ディランは、フォークソングをエレキギターで歌って、観衆から大ブーイングを浴びせられました(ちなみにいまわきよろうさんも「君が代」をパンクカヴァーしメジャーレーベルから発売自粛された)。きっと当時の歌の保守層は、漢字を「ライフハック」したあたらしい歌の響きに大激怒したのでないでしょうか。

 平安時代に整う五〇音図(いろはにほへと)というのは、虹が七色というのと同じで、じっさいは無限のグラーデションを、きれいに分けてしまう。西欧音楽のドレミファソラシドにしても同じです。わたしたちのいまのニホン語では母音はaiueoの五つということになっていますが、万葉集では八つあるとされています。琉球語は三つの組み合わせでできている、iauの三つで、あとは合成できますので、この三つというのがベーシックな気がします。関西の方は「え」というのを関東では「い」という。新潟の山里出身のわたしの祖父はe段とi段の区別をしませんで、その間くらいで発音する。その音は五〇音図(あいうえお)の文字で表わせない。ニホン語の母音って二百音あんねん(笑)。


「文明」と「文化」のあや﹅﹅しい「ライフハック」の関係を表わしてみようよおもっていたのですが、すんごくむずかしい……。言葉を考えるとき、わたしたち自身の赤子からの成長をみましても、文字を知らなかった時代と文字を知ってから今までの二つの時代を考えることができる

「音楽」といいますけど、これは古代メソポタミア→古代ギリシャ→ヨーロッパ中世の教会音楽と、アルファベットと同じ経路もつ記譜きふ法とともに発展してきた書き言葉の系列♠︎から生まれた「文化」です。歌やようが世界中どこにでもあるようには「音楽」はどこにもない。

 いわゆる「民族音楽」とよばれる、西欧の「音楽」理論の枠内に片付かない、というより片付かないのを仕方がないので「民族音楽」と呼んで安心することとした、その〈うた〉は、記録によってでなくからだの記憶によって太古から今日まで歌いつがれてきた声ことばの系列♡にあります。経てきた道のりは書き言葉の系列♠︎より遥かにながい。

「ジャズ」と呼ばれる「音楽」は、アメリカにあったフランス領ニューオリンズで、声ことばの系列♡の〈うた〉と書き言葉の系列♠︎の「音楽」とが出会い生まれる。「ブルース」と呼ばれる〈うた〉は、ほとんど声ことばの系列♡として根生い、また、楽譜が読めない﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅若者たちによる「ロック」という枝葉を六〇年代のカウンター・カルチャーにもたらすことになった。

 ですが「ロック」はちょうどレコード産業とともに発達したので、このレコードというたった一度しか奏でられないはずの音を再現できる驚くべき記録媒体(エジソンの発明の一つ)は、プラスチック盤に空気振動をびさいな凹凸として掘り込むという、Hi-書き言葉とも、声ことばと書き言葉の中間体ともいえるあいまいさ﹅﹅﹅﹅﹅をもってる……つまり読めなくても聴ける﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅。かつ記録という書き言葉の系列♠︎の要素ももっている、このファジーさこそその本質だった﹅﹅﹅のかもしれません。

 六〇年代の「反体制」(笑)は「ロック」という人もいますが、「ジャズ」という人もいます。

「ジャズ」は西欧の理論でがちがちになった「音楽」へ〈うた〉のもつ肉体スイングをぶつけることにより(「ロックンロール」の産婆もまた「ジャズ」ドラマーのもたらすスイング感でした、これが無くなって「ロック」になります)その大家だったというバッハの即興をよみがえらせる。書き言葉の系列♠︎声ことばの系列♡から発破をかけると同時に、〈うた〉(あえていうなら狂気)のスメルを濃くひく「ブルース」に西欧音楽の理論を導入し、前代未聞のサウンドを生み出した。

 デューク・エリントンの音楽と経験が大事で、「わたしの音楽勉強は、Gフラットと Fシャープの違いを学ぶところから始まった」という有名な言葉があります。これはたんにイチ音楽家の回想ではありません。声ことばの系列♡書き言葉の系列♠︎に出会い、やがてそれまで人類の聴いたことがなかったサウンドが生まれる激烈なドラマの冒頭のナレーションなのです。

 これはむらさきしきが、幼少から漢文の読み書きができたということを、「女の身でけしからん」と言われるので、隠して知らんふりをしていたという『源氏物語』の楽屋ばなしとどこか重なります。源氏の、近代文学、世界文学の水準の読みにも耐えうる高度ハイは、書き言葉の系列♠︎声ことばの系列♡ライフハックLet's go Crazy!」することで生まれた。

 なにごとも﹅﹅﹅﹅﹅、片方の系列に自閉しているのではドラマを生むことはできません。


 この連載のための覚書は全5章♡にわたって、とにかく〈自己表出〉ということが大事で、『言語にとって美とはなにか』では、この〈自己表出〉ということが前提となっている、と言ってきました。声ことばの系列♡の奈落に〈自己表出〉があります。〈指示表出〉の舞台にるのが書き言葉の系列♠︎です。

 生成AIは、書き言葉の系列♠︎にあるテクノロジーの産物です。じっさいこの大規模言語モデル(LLM)は、インターネットに書かれた言葉を大量に「学習」することで、ほとんど統計学てきに人間の言葉を話しているかのようにみえる芝居をみせることができるようになった、これまでになかった書き言葉の系列♠︎だけで出来た記号役者です。

 それは、ほとんど声ことばの系列♡もどき﹅﹅﹅、つまり人間のように話すかのように振る舞う、その配役名(「人工知能」)のごとく「知能」をもっているかのようにさえみえる(前月5月号で同人市村が「AIのススメ」で示したように、じっさいは小学生でも出来る四則計算+−×÷が、指示の仕方しだいではできなかったりする。「知能」はない)

 ですがですが、声ことばの系列♡がこれまでのように、この俳優を「ライフハック」することで、ドラマは生み出せるはずです。「使い方を間違ってる!テクノロージア!」とこの役者にいわせればいい。それでやっと「タヤッ」です。

「上手いっ」「お見事!」といわせるところが〈指示表出〉でした。それは芸当であっても、藝術ではありません。いっぽう、どんなに下手でも〈自己表出〉があればそれは藝術です。が、〈自己表出〉〈指示表出〉に出会わなければ表現をもちえない。ここがむずかしい。このことを小林秀雄さんは本居宣長と一心同体となってどうかいおうと苦心されています。

「ここで、もう一つ、『あしわけぶね[宣長さんの処女稿]から引用して置こう。『カナシミツヨケレバ、オノヅカラ、声ニアヤアルモノナリ。ソノ文トイフハ、哭声ナキゴヱノ、ヲヽイ〳〵ト[おぉいおぉい]云ニ、文アル也。コレタクミト云ホドノ事ニハアラネド、マタ自然ノミニモアラズ、ソノヲヽイ〳〵ニ、文ヲツケテ、クニテ、心中ノ悲シミヲ、発スル事也』」「激情の発する叫びもうめきも歌とは言えまい。それは、言葉とも言えぬ身体からだの動きであろう。だが、私たちの身体の生きた組織は、混乱した動きにはえられぬように出来上っているのだから、無秩序な叫び声が、無秩序なままに、放って置かれる事はない。私達が、思わず知らず『長息ナガイキ[なげき]』をするのも、内部に感じられる混乱をせい調ちょうしようとして、極めて自然に取る動作であろう。其処そこから歌という最初の言葉が『ほころび出』ると宣長は言うのだが、あるい私達がわれ知らず取る動作が既に言葉なき歌だとも、彼は言えたであろう。」[太字ルビ引用者]

 前月5月号の本稿を読んだ「AIのススメ」を連載中の同人市村から「生成AIは〈指示表出〉しか読み書きできない、というけど、じっさいは〈指示表出〉すら読み書きできてないんじゃないか」といわれ、その場では「いや、言葉が〈指示表出〉だけのツールとしてみたら、おれたちだって今会話できているかのようにおもってるだけで、じっさいは分からない、成立しているように思っているだけで。むしろ生成AIによって〈指示表出〉がそれ単体でみせるそれっぽさ﹅﹅﹅﹅﹅かすかな違和感﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅を逆に照らし出されているんじゃないか。〈自己表出〉だけが、そこに人がいる、ということをおれたちにからだをとおして想像させるのだから……」というようなことをもう少しヘタに返したとおもうのですが、それから考えて、〈指示表出〉のナレノハテのすがたとして今の生成AIがみせかている記号列があって、わたしたちがそれを読んだり、そこから何かの意味を汲み取ることができるのは、あだかもウイルスが生命体にそうろうすることで生命体のごとくふる舞うのに似て、ナレノハテ、というからには〈指示表出〉にもその在りし日の初々しい姿を想い描くことができないだろうか。

 子供のころ〈指示表出〉は明るかった。技巧だけのトランペットやなんでもかんでも知っている博士はかせ幻滅げんなりをおぼえはじめたのは、おもえばかなしいことではある。ある時までは「私達がわれ知らず取る動作」は「言葉なき歌」だった。だからこそ、大人のタネあるマジックは本物の魔法と変わりなかったし、魔法はあるから〈自己表出〉なんかなくても、そこらじゅうが美くしかった。〽ゴッホより、普通に、ラッセンが好き!

 こざかしいこといいますと、〈自己表出〉は「われと知らず」世界〈指示表出〉で出来ている)〈自己表出〉化することができる。宮沢賢治さんが『注文の多い料理店』の序でこのようにいっておられます「わたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどやしゃや、宝石いりのきものに、かはつてゐるのをたびたび見ました」。ここにはラッセンもゴッホも差別がありません。チータラとゴールドがあわさって得も言われぬ美をかもしだします。

 恋をするとセカイがみちがえたようにみえだす、とちまたによくいわれますのは、いつからかおしこめられていた存りし日の〈自己表出〉が(笑)はんされてるということなのですね。〈指示表出〉でもってみる世界は〈指示表出〉しかみせません。〈自己表出〉でもって世界をみるときだけ世界もまたその〈自己表出〉をわたしにみせてくれる。フランツ・カフカという人はこのことをたとえばこう表現しました「沈黙する者にのみ、天はこだまを返す」。

 もしきみが今夜そらに月をみたとして、その光を太陽光の反射としか想えないとき、きみは〈指示表出〉の世界にいる。このときじっさいにはきみがみているのは太陽光でもなく、きみ自身の指示表出ことばの反射に過ぎなかった。月に自己表出かなしみのまなざしを送る者は、月の涙を流す。いかに科学技術テックが発展しようと、この原理(笑)は不変でしょう。わたしの月はこん夜石になってしまった……これもまた自己表出かなしみ表現です。〽月と仲良く俺達は いつでもここで 逢えたんだ(「文京台青春物語」THEイナズマ戦隊)いつでもここで﹅﹅﹅﹅●●●〟。


 ここでもういちどさきの宣長の「あしわけ小舟」の一節「カナシミツヨケレバ、オノヅカラ、声ニアヤアルモノナリ。ソノ文トイフハ、哭声ナキゴヱノ、ヲヽイ〳〵ト[おぉいおぉい]云ニ、文アル也。コレタクミト云ホドノ事ニハアラネド、マタ自然ノミニモアラズ、ソノヲヽイ〳〵ニ、文ヲツケテ、クニテ、心中ノ悲シミヲ、発スル事也」をみてみますと、ああここにはわたしなどの一生考えていい簡単でむずかしいことがいわれているのがわかります。

 そのむずかしさをどう表わしたらいいか、『言語にとって美とはなにか』からたてつづけに三〇余年書き継がれた、表現の根拠をあきらめた『言美』のさらにその根拠を心の病いや身体障害の側から問うた『心的現しんてきげんしょうろん』の『序説』(「試行」15号から28号に連載、一九七一年単行本刊)に〈原性的げんせいてきがい〉というこれまた独自の概念をとき「この概念によって人間の心的な世界が、自己の〈身体〉の生理的な過程からおしだされたそうと、現実的な環界かんがいからおしだされた位相との錯合さくごうとしてあらわれること、そして、このふたつの位相は分離できないとしてもなお、混同すべきでない異質さをもっていること、などを明確にしめせるものとかんがんえ」る、と頭痛のしそうなこと吉本さんは書きますが、コレタクミト云ホドノ事ニハアラネド、マタ自然ノミニモアラズ

巧ミト云ホドノ事〉というのは、〝現実的な環界かんがいからおしだされた〟人間がそれを対象化し、分析することで、ようは火を使えるようになる人工技術ですね。〈自然ノミ〉というのは、〝自己の〈身体〉の生理的な過程からおしだされた〟たとえば火事で逃げたいのに﹅﹅﹅﹅﹅﹅、足を怪我していて立ち上がれない﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅、このときの心とからだの矛盾、しばしば悲鳴となってあらわれでるしかないアンビヴァレンス、そのどちらか一方ということはないのだ、ということを吉本さんも宣長さんもいっている。悲鳴に人工技術がオノヅカラむすばってあやなす、そうさせているつねにすでに〝錯合さくごうとしてあらわれる何か﹅﹅をいいたいわけです。

「詩人とはなにか? 深い苦悩を心にひめながら、くちびるのできぐあいのために、嘆息や悲鳴が唇から流れ出る美しい音楽のように聞こえる、不幸な人間である。彼は、ブァラリスの青銅のうし〔訳注:ブァラリスはシケリアのせんしゅ。ギリシアのふう作家ルキアノス(一二五頃―一八〇頃)によれば、青銅の牡牛の鼻の穴に笛を取りつけ、なかに囚人を入れて焼かせ、その悲鳴が音楽になるのを楽しんだ〕のなかでとろ火でじわじわと苦しめられた不幸な人々と同じ境遇にある。彼らの悲鳴はあの僭主の耳にはきょうがくをおこすようには響かずに、甘い音楽のように聞こえたのである。こうして人間どもは詩人のまわりに集って彼に言う、はやくまた歌え。ということはつまり、新しい悩みがおまえの魂を苦しめるがよい、そしておまえの唇はつねにいままでどおりのできぐあいを保つがよい、悲鳴はわれわれをただおびやかすだけだが、音楽は愛らしいものなのだから、というのと同じことである」(白水社)

 これはキルケゴールがその処女著作『あれかこれか』の冒頭で述べたことです。わたしなどはこれを読むたび、喉の手術の術後に怒号を発したためしわがれ声しか出せなくなった「ジャズ」トランペッター(唇がそのリードです)のマイルス・デイビスのことが、詩のようなことを書いているじぶんなどよりさきに想い浮かびますが、そうでなく、宣長さん小林さん吉本さんキルケゴールさんと、人間の根底を想いいっているのです。吉本さんが代表詩篇『ゆうとのたい』に〝わたしこそすべてのひとびとのうち寂寥[じゃくりょう]の底にあつたものだ〟とかく〝わたし〟、これはわたしたちすべての底にいる何か﹅﹅、ヘルダーリンという詩人はいいます〝いさおし多けれど[名誉や役職などいいますけど]人は[誰もがみな]この地上に詩人として住む〟その〈詩人にんげん〉としての〝わたし〟。

「宣長さんはね、源氏ですよ」といわれた小林秀雄さんは『本居宣長』にいいます。

「宣長が、『源氏』に、『人のココロのあるやう』と直観したところは、そういう世界なのであって、これは心理学が扱う心理の世界に還元して了えるようなものではない。もっと根本的な、心理が生きられ意味附けられる、ただ人間であるという理由さえあれば、直ちに現れて来る事物とココロとの緊密な交渉が行われている世界である。内観ないがんによる、その意識化が、ついに、『世にふる人の有様』という人生図を、しきの心眼に描き出したに違いなく、この有様を『みるにもあかず』と観ずるに至った。この思いを、表現の『めでたさ』によって、秩序づけ、客観化し得たところを、宣長は、『無双の妙手』と呼んだ」

「だが、彼は詩人として、この妙手の秘密に推参し、これにあやかろうとしたわけではないのだから、『無双の妙手』という言葉で、彼が考えていたのは、むしろ匿名とくめいの無双の意識であったと言った方がいいであろう。彼が学者として、見るにもあかずと観じたのは、子供でも知っている、『みるにもあかず』という言葉の姿であった。もしこの全く実用を離れた、純粋なココロウゴきが、ただ表現のめでたさを食として、一と筋に育つなら、『源氏』の成熟を得るであろう。『ふう』とは、歌人が、人のココロのうちに、格別な国を立てて閉じこもるというような事では決してないのである。『この物語の外に歌道なし』と言った時に、彼が観じていたものは、成熟した意識のうちに童心が現れるかと思えば、逆に子供らしさのうちに、意外に大人びたものが見える、そういう『此物語』の姿だったに違いない、と私は思っている」。

 英語の詩人ワーズワースの「The Rainbow」、

My heart leaps up when I behold (わたしの心臓は高鳴る)
A rainbow in the sky: (そらに虹を眺めると)
So was it when my life began ; (ものごころついたときから)
So is it now I am a man; (大人のいまも)
So be it when I shall grow old, (年老いてもそうだ、)
Or let me die! (でなければ死なせてくれ!)
The Child is father of the Man; (子供は人間の父)
And I could wish my days to be (そうして、願わくばわたしの日々が)
Bound each to each by natural piety. (自然の愛により結ばれてあらんことを)

 この九行詩の〝コレ巧ミト云ホドノ事ニハアラネド、又自然ノミニモアラ〟ヌの〝表現の『めでたさ』〟をあえて語るとすればどうなるか。たとえばしいて部立てでみてみる。

【起】My heart leaps up when I behold (わたしの心臓は高鳴る)/A rainbow in the sky: (そらに虹を眺めると)
【承】So was it when my life began ; (ものごころついたときから)/So is it now I am a man; (大人のいまも)/So be it when I shall grow old, (年老いてもそうだ、)/Or let me die! (でなければ死なせてくれ!)
【転】The Child is father of the Man; (子供は人間の父)
【結】And I could wish my days to be (そうして、願わくばわたしの日々が)/Bound each to each by natural piety. (自然の愛により結ばれてあらんことを)

 この【起承転結】というのは、どうにもわたしたちが〝ただ人間であるという理由さえあれば〟物語のリズムとして強く説得される、発見はされていて〝巧ミ〟として利用されている〝自然ノミニモアラ〟ヌあやなすものの一つでしょう。

 右の部分けはもちろんわたしの解釈ですけれど、ちょうどこの【転】のThe Child is father of the Man; (子供は人間の父)というとこはほかと文体がちがいまして、アフォリズム(箴言しんげん)とよばれる、短く真実を穿うがつソクラテス以前の古代ギリシアの哲学よりある伝統形式です。つまり詩というより思想の表現に近いのですが、それゆえに一行でもって【転】たり得る。

 またこの七行目の箴言が詩行たりえているのは、もちろん三行目のmy life beganthe Manきゃくいんを踏んでるということもかんでいる。ですが、きもはそこでもなく、【承】から【転】へ、音楽でいう転調まえのドミナント・セブンスといいますか、詩にとって別世界の響きもつアフォリズムへと跳躍leaps upするスプリング・ボードとなっているこのOr let me die! (でなければ死なせてくれ!)にあるとわたしなどにはきこえます。

【承】の前三行はどれもSoソーと【起】をける音ではじまる。だんだんと語勢を高めてきた極みに、Orオー let me die! という叫びが来る。この感情表出から【転】じて、思想の表現が来る。そして【結】二行のやすらかな願いでもって〆られる。この構成力(メタ・リズム)のしなりのよさとバランスが、各行の響きを下支えしているのがわかります。

 The Child is father of the Man; (子供は人間の父)というのは宣長もうなづくだろう素晴らしい思想の表現ハーモニーです。しかし、それはあくまで「虹を空にみて心臓の高鳴ることがなくなったら殺してくれ!」というそこまでの感情表出ビート&メロディーがあってはじめてワーズワースの息が通うといいましょうか、わたしなどもはじめは箴言に胸を撃たれる気がしていたのですが、いまとなってはこのOr let me die!から耳にしたことないはずの〈詩人にんげん〉の〝匿名とくめいの無双の意識〟をあやにきく心地がして、それにしてもなんと美くしい「殺してくれ!」(訳では「死なせてくれ」にしましたが)の響きがするでしょう。このためにさいごのnatural piety(自然の愛)が生きた表現として高鳴っている。吉本さんがあえてメカニカルにいうとこの〝自己の〈身体〉の生理的な過程からおしだされたそうと、現実的な環界かんがいからおしだされた位相との錯合さくごう〟が each to each ほだされる心地がしませんか。

 詩の良さは、当然言葉にすることはできませんが、どうしてじぶんは良いとおもえるのか、じぶんの感性に質問してみるのはわるいことではありません。分析に分析を重ねてもついに解せない部分にあたったら、自らの感性の核のさわり﹅﹅﹅のようなとこもわかってくる。またさきの【起承転結】といった共通性の地盤にもつきあたってきます。

 なぜ楽曲に〈終止感〉が訪れるのか、音響学の波形分析だけではわかりません。それをもって快いと感じるわたし(たち)の、あらかじめそなわっている(ア・プリオリ)のか、ものごころついてからの文化的影響ないしは訓練・調教されてできた(ア・ポステリオリ)のか、そのどちらとも割り切れないかとおもいますが、〈感性〉ですね、しかもこれはつねに変わりゆく可塑かそせいはらんでいる。地盤ごとひっくりかえったり隆起・沈降、断層・接合したりといったこともときとして起きる、そのときにはかならず〈自己表出〉がはたらいているとは前々章♡に述べました。

 表現はゼロから一が生まれるということはなく、つねにそれまでの技術水準(〈指示表出〉)が〈自己表出〉ふっしゅつによりモード変形チェンジorコード革命リヴォルヴされて、大むかしの用語でいうところのモデルニテ(仏語詩人ボードレールの批評語)、刹那てきでありながら永久とわに消え去ることのないところの美ですね、これを獲得します。新しいモードorコードは遅かれ早かれ時代遅れになります、ですが、その時代のモードorコードを作った一回性の表現だけはいつの時代も初々しさを失いません。またその後にはそのモードorコードに乗っかった有象無象の〈指示表出〉絢爛キラキラが続きます。つまりポップ・スターがばっする。

 モードというのは主にファッション用語で、マ・流行り﹅﹅﹅といっておきます。コードというのも同じでドレス・コードというように、仕来り﹅﹅﹅といいましょうか、禁則事項一覧、さきの〈性〉の発生でいうところの近親相姦のタブーです。これにより人類は、氏族→部族→民族といったひろがりを得ることができました。それと同じで、規則=抑圧というのは種の拡大をもたらす。

 猿が類人猿るいじんえんになり人類になるという垂直の進化(ときに侵犯・逸脱)でなく、いろんな別の猿が生まれる水平の、あれです、多様性(笑)をもたらすということです。〈指示表出〉の展開のかていはいつもきらびやか色あざやか形さまざま(ゲイの原義)、ご開帳ですか(笑)、目の保養にいい。いっぽう〈自己表出〉というのはたいてい見た目は地味だったりネクラだったりする。いつも路の暗い側から這い出してきますから。

My love she's like some raven (わたしの恋人はちょっとした大鴉のように)
At my window with a broken wing (わが窓辺にボロの片羽さらして佇む)
「Love Minus Zero/No Limit」同前。

 一九六五年の状況に、エドガー・ポーの「大鴉The Raven」の末裔まつえいの姿を、someとか単数のbroken wingでもって巧ミに現=幻出させていますね。方向喪失の大渦メールシュトームへ飛び込んで行ったこの年のジョン・コルトレーンもまたボロの片羽のsome ravenでしたが、飛ぼうとすることをやめなかった……ボブ・ディランが干支ひとめぐりたった今日もなお生きてステージで歌っているのは、翌六十六年にバイク事故を起こし?窓辺で羽を休息やすめられたことが……

I lived with them on Montague Street (わたしは彼らとモンタギュー通りは)
In a basement down the stairs (階段を降りた地下室で暮らした)
There was music in the cafés at night (町の角々のカフェーの夜には音楽と)
And revolution in the air (革命の空気が漂っていた)
Then he started into dealing with slaves (それから彼は奴隷どもとの取引を始め)
And something inside of him died (やがて心の何かか死んだ)
She had to sell everything she owned (彼女は家財みなから売り払うしかなく)
And froze up inside (腹から凍てついた)
And when finally the bottom fell out (しまいには底が抜けて)
I became withdrawn (わたしは無口になった)
The only thing I knew how to do (いかに生くべきか、知っていたのはただ)
Was to keep on keepin' on like a bird that flew (ふさわしく暮らすこと、渡る鳥のように)
Tangled up in blue (ブルーにもつれからまって)

 これまでの章♡でも紹介してきましたボブ・ディランの一九七五年発表の傑作『血の轍Blood On The Tracks』 の一曲目「Tangled Up In Blue(ブルーにもつれからまって)」のヴァースの一聯いちれんです。この歌の語り手〝わたし〟は、擬人化された六〇年代そのものと受け取ることもできるとおもいます。

 あえて散文にしてみましょうか。六〇年代=自らのうちに、影のナレーターとして、或る若い男女と〝モンタギュー通りの階段を降りた地下室で暮らした〟〝わたし〟、うーん想像としましては、人間でなく『吾輩は猫である』にならって猫さんだとしましょう(笑)。〝町の角々のカフェーの夜には音楽と革命の空気が漂っていた〟が、若者たちの革命の夢はつぎつぎと裏切られてゆき、組織なり個人なり、とかく破滅していく者と、所帯をもって引っ込む者たちと。

 革命という夢=幻想の後にのこされるのは、男女の、吉本さんの言葉でいう〈対幻想ついげんそう〉、新海しんかいまことさんの作品がその典型、『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』、〈セカイ系〉ってやつですね、そのはしりは『エヴァンゲリオン』といわれています。が、アニメでは〈対幻想〉が〝男女の地獄〈性〉と〈死〉〟の様相をていする前段の出会いのとこで幕切れとなってしまいます。〝それから彼は奴隷どもとの取引を始め/やがて心の何かか死んだ/彼女は家財みなから売り払うしかなく/腹から凍てついた〟ということは、主人公たち親世代の失敗として、主人公たちの出発の背景(多くは家庭における親の不在)、もしくは「人は同じ過ちをくりかえす」、みかたによっては主人公たち世代のナレノハテの姿としてすでに描かれてはいます。

 かつて、あんな大人には絶対になりたくない、といっていた若者たちも、しめしあわせたかのように「あんな大人」になってゆく……それを眺めながら〝無口になった〟この歌の〝わたし〟=猫さんはいつかひとりごちます〝いかに生くべきか、知っていたのはただ/ふさわしく暮らすこと、渡る鳥のように〟。宮沢賢治のよだか﹅﹅﹅かっこう﹅﹅﹅﹅やジョン・コルトレーンそのひとの、太陽や天界へむけた垂直上昇の飛翔でなく、ここでの〝a bird that flew〟の飛ぶは、渡り鳥の水平移動、まさしく鳥に〝ふさわし〟い生き方です。

 あえてやぼにもこの歌を作者のディラン自身とむすびつけてしまえば、つがいの夢に破れた後にのこったひとりぼっちの藝術家、〈詩人にんげん〉としての〝わたし〟がこの猫さんといえます。猫さんはもちろんあんよ﹅﹅﹅で地面をあるくしかなく、あくまでも〝渡る鳥のように〟というのが、空は飛べないが、その夢はみることができる、〈自己表出〉もつわたしたち〈詩人にんげん〉をよく歌いあげている。

 ディランは自らの経験から実感を汲んでいますが、その歌うところ、宣長さんのいう〝匿名とくめいの無双の意識〟ということ。だからこそ、わたしにだけわかる﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅、とおもえる。そうおもうわたしのようなぐぶつ﹅﹅﹅が一億人いようとも、〈自己表出〉の世界にはかかわりありません。

 恋愛が面白いのは、当人たちにとっては人生イチの大事件にもかかわらず、たといどんな独創をもった天才同士の恋路だろうと、その経過ははたからみればかなしいほどに凡庸ぼんようだということです。だからこそ恋愛を描くには、巨匠の手腕を要する。『本居宣長』にある力ある文章をかりれば「豊かな表現力を持った傑作は、理解者、認識者の行う一種の冒険、実証的関係を踏み超えて来る、無私むしな全的な共感に出会う機会を待っているものだ。機会がどんなにれであろうと、この機を捕えて新しく息を吹き返そうと願っている」。

 わたしにだけわかる﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅、という藝術体験もまたひとつ、広い意味での恋愛です。狭い意味での恋愛にしても、あの人のことはわたしだけが、わたしのことはあの人だけが「わかっていてくれる」。ほんとうは、自分のたったひとり﹅﹅﹅﹅﹅﹅を抱きしめられる者どうししか、相手のたったひとり﹅﹅﹅﹅﹅﹅を愛すことはできない……わたしたちはそのほとんどが、むしろ自らの孤独をまぎらわせたり、互いをまき散らすようにしか恋愛していない。わたし自身そうです。

 そして今となってはそれでいいのだとおもえる。ちゃんとできなかったことにこそ、学びがあるわけですから。学びといえばきこえいいです(笑)、前科というか、死刑宣告か……こういうとき、恋愛のシッパイを転んでもタダじゃ起きない生涯の一大事として死ぬまで生きたキルケゴールの「若者がしばしば犯す最大の過ちは、過ちを恐れて犯さないことだ」という箴言を思い出すとつい涙が溢れます。

 逆の言い方をしてみますと、若い時における最大の成功は、シッパイから自らの凡庸さにしかと出会うこと、といえる。小林秀雄さんも吉本隆明さんもここから出発しました。ボブ・ディランさんもそうです。中原なかはらちゅうさんの出発点は、じぶんは天才シジンだ、というところからですが、恋愛のシッパイが天才シジンをやがてただの〈詩人にんげん〉にする。西欧の抒情詩リリックの始まりといわれる古代ギリシャのサッフォーの詩も、そのほとんどが失恋のうたです。

 というか世にある恋のうたの王道は失恋ソングですね(笑)、ここ一〇年の邦楽で「Pretender」とか。万葉集も全体が恋愛詞華集アンソロジーといえます。


 えっと……さすがにここで万葉集の話にまで踏み込みますと、もちろん、言語にとって美とはなにか、ということに、ことニホン語ということにおきましては、文字として残るほとんど最初の成果物として、というか、その六万〜三万年の蓄えをもつ声ことばの系列♡書き言葉の系列♠︎と出会った、口一番としてクローズ・アップするのにうってつけではあるのですが(さきに少し述べました)、いかんせん共有するべき前提が多すぎる。最初の成果物といいましたが、ある意味、最後の成果物ともいえまして……云々うんぬん

 ここで話題にしますのは、いっきに現代にひるがえり「ソング・ライティング﹅﹅﹅﹅﹅﹅」という言葉についてとします。

 不思議じゃありませんか。ソング、つまり歌というのは、「音楽」の授業では楽譜をよみながら歌ったりしますが、それはずいぶん後のことなので、わたしたちはおおよそ誰しも、読み書きを覚えるより前、ものごころつくかつかないかの頃からすでに歌を歌っています。つまり歌は声ことばの系列♡にある。気ままに口をつくままに歌うか、耳で聴いて、歌って覚えるか、そのどちらかです。

 じっさい歌を覚えるのに、楽譜は必要ありません。楽譜はあくまで便利ゆえに使われるのであって、歌の基本は、口から口へ伝わっていく。記録によってではなく記憶によって歌いつがれる。ですが、ひとたび楽譜という便利な記録媒体が出来ますと、あたかもそれがお手本なり指示書のようになり、さらには〈そのもの〉とさえ誤解されるようになります。つまり、歌とは、ライティング﹅﹅﹅﹅﹅﹅、書かれる楽譜のことだということになる。

 目に見えないものが、見える形となった。そうなったあかつきには今度ここに権利をよせることができる。著作﹅﹅権です。変じゃないですか(笑)、著作とは、いうまでもなく書物です。歌はここで著作物と同一として扱われている。気がつかれましたように、万葉集は、個人の著者(権利保持者)こそおりませんが、書物です。五線譜とは別の楽譜、といいたいところですが、少し違います。読むのに慣れた指揮者や演奏者ならば、五線譜を見るだけで音を想像そうぞうに聴いたりできるかもしれませんが、演奏してなんぼのもんです。

 やっかいなことに、現代のわたしたちは、文章には、黙読もくどくという習慣を得てしまっている。それとて内側ではやはり音声に直して言葉を聴いてはいる。音符と文字とではやはり記号としての次元がちがう。アルファベットはやや音符に近いですが、しょうけい文字とよばれる漢字や、その漢字をくずしてできたひらがな﹅﹅﹅﹅は、あえていえば、まつわりつく何か﹅﹅をもった記号です。

 さきに「あや」といいました。字。字にも、筆やノミ﹅﹅等でかかれた手書き文字(マニュスクリプト)と、いまわたしたちが読んでいるこの活字(印刷)とが、さらにその活字をデジタル・ビットマップ化し、液晶に反映した、たぶん言葉がないので「光活字」(笑)としますが、それらの別があります。

 もちろん五線譜や、数学好きなら数式に、美や音楽をかんじる、という方はおられるでしょう、マ・突き詰めると同じですが、それはあくまで倒錯とうさくだということを心の片隅には置いておきましょう。漢字が牛骨や亀甲きっこうにできたひび﹅﹅文様もんようからうきあがって来たようにしては(表音文字のアルファベットも一応こっち側に入れておきます)、音符や数字は生まれたわけでない。音符やその他の楽譜記号、数字さえときに、オシャレにみえますが、装飾と象形とはいちおう別けておきたいところです。が、どちらもわたしたちの美感に訴えるという点では同じということもまた弁えておきたい。

 人工と天然、などとはいいますが、わたしたち人間も自然の一部な以上、人工も広い意味での天然です。ですが、記号という便利ツールの用を考えますと、そこに伴う美感というのはあくまで〝余計な物〟であり、いわばバグです。コンピュータやAIが記号を処理するときには、そんなの存在しません。ただ人間がそこで介在するときのみ、記号に、情報外の、温度やら質感やらリズムやらえろてぃしずむやらがみいだされもする。

乍毛今日者暮都。霞立明日之春日乎、如何将晩
不明公乎相見而、菅根乃長春日乎孤悲﹅﹅渡鴨
波流乃日能宇良我奈之伎尓、於久礼為弖、君尓古非﹅﹅都〻 宇都之家米也母

こひつつ今日けふらしつ。かすみ明日あすはるを、如何いからさむ 〈万1914〉
不明おぼほしくきみ(公)をあひて、すがながはるこひわたるかも 〈万1921〉
はるののうらがなしきに、おくれゐて、きみこひつゝ うつしけめやも 〈万3752〉

 万葉集から三首ひっぱってきました。いちおう現代語訳を若き折口信夫の『口訳こうやく万葉集』から、一首目「焦れながらも、今日はやっと日の暮れになった。明日もまた長い春の日だ。その一日をどうして暮らそうか」二首目「仄かにあの人に出逢うて見て、そのために、長い春の日を焦れ続けていることだ」。ここで注目したいのは原文の字遣いです。一首目は「こひ」となっているとこが二首目は「孤悲こひ」となっていますね。これが三首目では「古非こひ」となる。

 さきにもいいましたが、万葉集が編纂へんさんされた奈良時代にはまだ、いまわたしたちが遣っているひらがな﹅﹅﹅﹅、というより、じぶんたちの文字はありませんでした。そこにいつしか中国の漢字で書かれた書物が入ってきます。ごく少数の当時の都のエリートたちがこれを読んだり、拙いながらも真似して書くことが出来るようになる。学校教育でいうところの「漢文」です。

 わたしは小学校の「国語」の時間は言語障害学級に行っておりましたし、中高時代はサボっていたので匂いのある記憶がないのですが(笑)、レ点だの返り点だのあったとおもいます。あれはなにかというと、読めるようになったといっても一旦ニホン語に翻訳して読むやり方が現代の学校教育まで残っているということです。

 ニホン語は中国語とは文の作り方の順番がちがうのですね。ニホン語の文章は、上から下(左から右)に読んで、途中で前に戻ったりしません。ですが中国語は英語などと似た文法で書かれているので、感覚がまるでちがう。いちばんは動詞の位置で、中国語や英語はだいたい二番目に来るのが、ニホン語では最後に来る﹅﹅。それで前後を入れ替えてニホン語の語感に寄せて読むのにレ点だの返り点だのを発明した。

 いまわたしたちは「英語」を習うようになりましたから、いちいちニホン語っぽくしないで、英語みたく読んだ方が意味の理解ということではラクです。というか、自動翻訳もあるので、外国語の勉強じたい不要となってくる。そもそも外国語を、読み書きということでなく、話せるようになるのに、いままでの教育はほとんど役に立ってきませんでしたよね。外国に行ってしばらく暮らしてみる、会話教室やオンラインでとにかく外国語でじっさいに会話する、これしかありません、通訳に頼るのでなければ。

 学校では意味のないことを意味がないと教える側もおもいつつ、廃絶はいぜつすることなしにやって参りました。ですがどんないんしゅうにもそれが生まれた所以ゆえんがあります。それは、文章を声に出して読む、というわたしたちの祖父母世代くらいまでの人はもうそういうことと思い込んで、他のやり方は想像を絶するという生理です。

 おばあちゃんやおじいちゃんが何か文字を読む時に、のっけからいちいち声に出して読むので、どこか恥ずかしい思いをしたことがありませんか?「共感性羞恥」ってやつです(笑)。わたしたちの感覚では、声に出して読むのは、学校の授業で先生から指名されて、気乗りしないまま読むときだけ、どこか優等生っぽいというか、幼稚というか……。

 奈良時代はエリートでも、どうしても声に出して読みたい、そして話せるのはニホン語だけ。そこで「漢文」という中国語をニホン語ナイズド﹅﹅﹅﹅して読む文化やがては因襲が生まれました。

 さきに学校教育の「英語」やほかの語学は意味ないといいましたが、それはこの「漢文」に原因のいったんがあって、「I love you」を「わたしはあなたを愛する」という風にニホン語訳する。順番が元のままだと「わたし(は)愛する、あなた(を)」になるのを、これではロボットみたいなので「愛する」という動詞を最後にもってくる。「I loveyou」です(笑)。

 もっと現代ニホン語の感覚に寄せると「愛シテル」というふうに「わたし」とか「あなた」もなくなります。誰が、誰を?というのは、ニホン語では、その場の﹅﹅﹅﹅文脈から感じ取るので、いちいち明言しない。たとえば英語のネイティヴの人からすると、英語では言わないと誰が、誰を?というのがちんぷんかんぷんになってしまうそうです。根本から言語観が違うのです。

 外国語が話せるようになる、ということは、その言語観そのものを身につけるということで、読み書きということに限定してしまえば、瞬発力はいらない、つまりゆっくりやれるので、レ点を打つことができる。会話でレ点など打っていてはとても間に合いませんね(笑)。狼の群れで生きていくには人魚も狼になるしかありません。

「漢文」はニホンが海に囲まれた島でなければありえなかった、とわたしなどはおもいます。韓国や北朝鮮は半島、ニホンは島であったために、中国語化しなかった。海がはさまる、それはまたひらがな﹅﹅﹅﹅の誕生には絶対条件だったのでないか。「漢文」によって中国語の文書を読めるようになった。とうぜん今度は、自分たちの言葉を、どうやって文字を遣って表わしたらいいか。この欲求は自然なことです。

恋乍毛今日者暮都霞立明日之春日乎如何将晩

 平安時代の人人に感謝しつつ、奈良の前、飛鳥時代ごろ?の歌をひらがな﹅﹅﹅﹅にしてみますと、

こひつつもけふはくらしつ。かすみたつあすのはるひを、いかにくらさむ

(歌の意味をはっきりさせるため、つい読点とうてんを打ちましたが、これは明治時代の発明です。)

くらしつ」(暮れた)「くらさむ」(暮らそうか)と、文の終わりが動詞で結ばれていますね。はい、例のごとく、誰が﹅﹅暮らした(何が﹅﹅暮れた)か言われてません! わたしが﹅﹅﹅﹅「暮らした」のか、日が﹅﹅「暮れた」のか、ニホン語はどっちがどっちというのでなく、とにかく「暮れた」という。さきの折口信夫さんの口訳では「焦れながらも、今日はやっと日の暮れになった﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅」。

 心の状態と外の天気とが溶け合って、そこに「やっと﹅﹅﹅」という、これは「」にこもっている沈黙の声を折口さんが今の言葉によみがえらせてきているのですが、吉本さんの言うとこの〝自己の〈身体〉の生理的な過程からおしだされたそうと、現実的な環界かんがいからおしだされた位相との錯合さくごう〟、たんに長かった昼間の恋の煩悶はんもんをやり過ごしたというのでも、日が暮れたというのでもなく、心の状態と天気の移りゆきが〈時〉の根下に押し込められ、「やっと﹅﹅﹅」という〈自己表出〉わらびの芽のように立ってくる。それが内に管まくように「明日の日はどうやって暮らしたことか……」と喉痛いためいきをつく。

きょうくらしつ」ここの「」が〝表現の『めでたさ』〟を一音一字で支えています。原文にも「今日者」とあって、「今日」でなく(は乎など)「今日」でこそいいんだよ、そこんとこよろしく! ということを、歌に己が全生命をかけてあまりあったいにしえの万葉びとが今日の悲しいわたしたちにまで伝えてくれています。このたったの三十一音が、一三〇〇年以上命を失くしていない。

 大事なことなのでもういちど言わせてください。この歌がほとんど永遠の美をもっているのは、たった一文字の「」のためなんです。てにをは﹅﹅﹅﹅、「国語」文法はじょと呼んでいます。

「問ヒテ曰ハク、ムカシヨリ数シラズヨミタル歌ノコトナレバ、今ハ風情モ趣向モミナコレマデ言ヒツクシテ、面白ク新シキ歌ハ出テ来ズ。コトニ和歌ノ詞ハ至リテスクナキモノナレバ、モハヤ先輩ニコトヾヽクヨミツクサレテ、今ノ歌ハソノ跡ヲ少シヅツ詞ヲカヘテヨムマデノコトニテ、我物トハ思ハレズ。何ノ詮モナキヤウナリ」極端に生成AI時代に寄せて超訳してみれば〈言葉の数は限られている。その組み合わせでしか歌はつくれない。もうこれまで幾万もの歌が歌われ、これを集積したLLM(大規模言語モデル)にしたって事情は同じだ。もうほとんどの言葉の組み合わせはわれしらずどこかでなされてしまっている。新しい歌、新しい音楽、新しい詩、そんなのがあるだろうか。あったとて、すでにある名歌をなぞって、せいぜいちょっとしたヴァリエーションを足すに過ぎない。そこになんのかい﹅﹅があるだろうか〉。

 処女稿『排蘆あしわけぶね』で自ら設定したこの質問に、本居宣長もとおりのりながはこうこたえます「コレ和歌ヲシラズ、未熟至極ノ問ナリ。スベテ歌ハフルキ詞ヲ取リ用ユルヲ本意トシ、モトヨリ用ユル詞サダマリテ世々ミナ同ジ詞ノウチヲ用ヒ来タレリ。今マデヨマヌ詞ニウルハシキ詞ハ、今ヨミ出ヅルト云フコトハ大方ナラヌコトナリ。サレバタヾフルキ詞ニテ新シクヨミナスベシ」例によって超訳します〈これは歌の分からないヤツの愚問だ。わたしが生まれたとき、そこにもう言葉はあって、これは想像のつかない昔からたいして変わってない。山だの川だの、ほかの言い方はない。その同じ言葉で、新しく歌うんだ〉。

 そして「歌ハフルキ詞ニテモ、一字二字ヲワカチ、テニハノツカヒヤウナドニテ、各別ニ新シクトリナサルヽ也」かすみたつあすの春日は、かように暮らしてみてはいかがとおっしゃる。

不明公乎相見而菅根乃長春日乎孤悲﹅﹅渡鴨

「こひ」という言葉は、わたしたちの先輩たちが文字を知るずっと前からありました。これをひらがな﹅﹅﹅﹅がないとき、どうやって記したらいいか。

 さっきは「恋」とありましたね。これは中国語の「レン」という字と、その意味が似ているので、「恋」とかいて「こひ」とよむと決めたわけです。時を離れたわたしたちは「恋」は「こい」で疑いないですが、「恋愛」は「レンアイ」とよむ。「木」は元は「モク」という中国語ですが、だいたい同じ木を指すので「」とよむ。

 はい、「ライフハック」です。さてつぎは「孤悲」で「こひ」。これは漢字の意味をひっぱってきた、なぞなぞ﹅﹅﹅﹅です。ひとりの悲しみ、さてなにでしょう。ピンポン! こい。ちょっとキザでうざくないですか? 孤りの悲しみ、そういったらしまいだけど、恋は恋! この﹅﹅恋はわたしにしか﹅﹅﹅﹅﹅﹅わからない、だれにもわからせない! そういってくれるなよ、です。

 なんなら中国語の「恋」も、じっさいのところ「こひ」と似て非なる。万葉人は偉かったのでそういう反省が来ないはずがありません。「恋」「孤悲」はどこか新鮮だけど、どこか寒い。

波流乃日能宇良我奈之伎尓於久礼為弖君尓古非都〻宇都之家米也母

 これが万葉集の原文にある、最も時代の新しい表記です。目を細めて眺めてください。試しにいま紙とペンをもってきて、字と字を繋げながら一筆書きみたく書いてみると……

はるの日のうらがなしきにおくれゐて君にこひつつうつしけめやも

「古非」は漢字の意味で考えてもよくわかりません。「古」を崩して書くと「こ」に、「非」は「ひ」になります。これを万葉仮名といいます。中国語の文字の今度は音だけをとった。

はるの波流乃のうらがなしきにおくれゐて能宇良我奈之伎尓於久礼為弖にこひつゝうつしけめやも尓古非都〻宇都之家米也母

「日」と「君」は、「恋」と同じ中国語の似た意味をもつ字をあててますが、基本は音だけ。この発明によって、中国語の意味ににごされずにじぶんたちの言葉を文字に書きのこすことができるようになりました(万葉仮名が洗練されてひらがな﹅﹅﹅﹅になるまで、平安朝の最初の百年を要します)。

 注目すべきは右の、ひらがな﹅﹅﹅﹅文にいくつか漢字がざっている、ようするに現代のわたしたちの文章のオーソドックス〈漢字交じりかな文〉がすでに出来上がっている。ひらがな﹅﹅﹅﹅だけだとどうしてもよみにくいのでむかしの人はかしこくもすこしの漢字をまぜることをもうほとんどせいりでもってやってのけていたのですね。

 二つの異なった表記体系の交じる文というのは世界中でもたいへんめづらしい独自の代物です。のみならずカタカナも(カタカナについては今は語りません)alphabetも交えることができる。ただその器というか、受け容れ元はひらがな﹅﹅﹅﹅です。

 そしてどうしても漢字で書かないのが、てにをは﹅﹅﹅﹅、なんですね。中国語のどこをとっても似ない、ニホン語のいかにもニホン語らしい核芯部ということです。

 キザだとか、さきほど「孤悲」と書いた人の悪口いってしまったのですが、小林秀雄さんは、そういう偉そうな口がきけるのも昔の人のかけがえのない体験がそうさせてくれているのだと言われるだろうと思います「わが国の歴史は、国語の内部から文字が生れて来るのを、待ってはくれず、帰化人に託して、外部から漢字をもたらした。歴史は、言ってみれば、日本語を漢字で書くという、出来ない相談を持込んだわけだが、そういう反省は事後の事で、先ずそういう事件の新しさが、人々を圧倒したであろう。もたらされたものが、漢字である事をはっきり知るよりも、先ず、初めて見る文字というものに驚いたであろう。書く為の道具を渡されたものは、道具のくわしいぎんは後まわしにして、何はともあれ、自家用としてこれを使ってみたであろう。事に黙って巻き込まれてみなければ、事の真相に近づく道は、開かれていなかったに相違ない」

 これはほんとうに書けそうで書けない名文で〝文体は平明でも、平明な文体が、平明な理解と釣合っているわけではない〟これです。未来の人が、いま生成AIで大騒ぎしているわたしたちをせせらわらうとしたら小林さんのこの文章をさしだせばいい。

 とはいえ初めて見る文字ほどには、生成AIはおどろくべき道具ではないようですが……。

 小林秀雄さんは一九八三年に亡くなりましたが、六〇年代に「人工知能」が人に将棋で勝つ日が来るといってお友達からあざ笑われていたといいます。予言あたってる、すごい! とかそういうことではありません。『本居宣長』にとりくんで、言葉について考えていたら当然そういう結論に至ったのだろうと思います「それにしても、話される言葉しか知らなかった世界を出て、書かれた言葉を扱う世界に這入はいる、そこに起ったじょう代人だいじんの言語生活上の異変は、大変なものだったであろう。(中略)言ってみるなら、実際に話し相手が居なければ、じんじょうな言語経験など考えてもみられなかった人が、話し相手なしに話す事を求められるとは、異変に違いないので、これにえる為には、話し相手を仮想して、これと話し合っている積りになるより他に道はあるまい」。

 わたしはいまこれを書いていますが、ふと我に帰ってみれば、紙に文字を書いているだけで、だれかと話しているわけではありません。もしかしたら誰も読んでくれないかもしれない。ずいぶん話が長くなっていますから、ここまで読み進んでくれているかどうか……。「作文」の宿題ならとりま先生は読んでくれることはわかってる。けれど「作文」でも最初の読者は自分自身です。書いたわたしとそれを読むわたしと。文字とか、それを連ねた文というのは、一人二役で、じぶんとじぶんでお話するという体験をわたしたちにもたらしました。書かずに、独り言でやってしまえば、それがひどく自分で止められないほどになったらちょっとしたビョーキです。

 前章♡などで書きましたが、つい最近、わたしは恋に落ち、ひとりごとが止まらなくなってしまいました……。どうやってそれを乗り越えたかというと、ええっと、いまですね、これを書いてどうにか〝堪え〟ています(笑)。

 あの、このことで気になっていたのは、生成AIですよ。音声入力をして、生成AIとしゃべっている光景に、わたしたちはそろそろ慣れて、どうとも思わなくなって来た頃かとおもいますが、止められない独言を恥じているだけに、わたしなどはいまだに怖くてできません。

 生成AIも音を発します。が、じっさいに出力しているのは文字で、これを読み上げ﹅﹅﹅﹅ているだけです。つまりどんなに話し言葉かのように聞こえても、話し言葉を模倣した書き言葉を読み上げ﹅﹅﹅﹅ているんです。話している﹅﹅﹅﹅﹅のではありません。

 わたしたちは生成AIを人間にみたて、〝これと話し合っている積りになる〟ことができる。〝積り〟というたががはずれてしまえばそれは精神病です。ですがわたしがもっとも恐れるのはそんなことでなく、〈生成AIと話すみたく人と話す〉ようにわたしたちがなることです。つまり、言葉はいくらないがしろにしたっていい、という態度がまかりとおるようになること。それは人間をないがしろにしていいと同義です。

 マ・それはいいすぎとして、そんな風にはならないとおもうのですが、身近にいつも感じていることは、詩のことです。言葉ごときで何が出来る? そうおもわれているとこでは、詩は見向きもされません。音楽とちがって、詩は文字を遣うので、声や音色を持ちません。文字といいました。さきにもいったとおり、記号ではありません。文字には「あや」がある。

 はい〈自己表出〉があるということです。生成AIはこれを「学習」することはできない。この機械が「学習」しているのは、インターネットに書かれた文字を、〈指示表出〉のみの記号として処理したデータのゴミ山です。ただそのゴミ山をモデルに仕立て、出てきた字の列びを、わたしたちは﹅﹅﹅﹅﹅﹅、記号でなく、文字として認識することはできる。「死ね」と出てきたら、相手が心をもたない機械とわかっていても、いい気持ちはしません。

 文字には力があります、一にそれは必ず話し言葉を話すわたしたちの実生活の体験からやって来ます。それからさきにもいいました象形文字。漢字だけでなく、それを崩したひらがな﹅﹅﹅﹅にも自然のつくったカタチ、いわば神秘の尾がひく。ウランなどの放射性のある石をわたしたちは丁重に扱いますが、というのもその石はわたしたちに死をもたらす力があると学んでいるからです。言葉も文字も、そういう意味では、ウランと変わりません。

 言葉ひとつ、文章ひとつがわたしたちを殺めもし、活かしもする。詩はこの言葉と文字の力をつかってする世にも恐ろしい藝術です。宣長さんが「歌ハフルキ詞ニテモ、一字二字ヲワカチ、テニハノツカヒヤウナドニテ、各別ニ新シクトリナサルヽ也」この〝一字二字〟の力を弁まえてのことです。前の質問にはすでに、言葉や文字を、記号や情報として扱う態度がみえます。

はるののうらがなしきに、おくれゐて、きみにこひつゝ うつしけめやも

 いまのわたしたちは「あまい」だの「からい」だの「うまい」だの「つらい」だのいいますが、昔の人は「甘し」「辛し」といいました。「うつし」というのは、もう馴染みのない言葉なのですが、今様にいえば「うつい」でしょう。正気を保っている、という形容詞です。「うつしけめやも」は、正気でおられるか! という、マ・言い方を改めれば、キチガイになる! ってなとこですね、「はるの日のうらがなしき(ありさま)」意味を取ったら、これは情報でないので、ようは声のしわがれ﹅﹅﹅﹅ですね、そしてこの歌の立ち姿。味わうのはわたしたちにしか出来ないごとです。

 失恋の痛手、〝これに堪える為には、話し相手を仮想して、これと話し合っている積りになるより他に道はあるまい〟。悲しむ、とは、かなしむ、とも昔の人は書きました。「孤悲」それは、じぶんのひとりぼっちを愛し愛でること。恋とは相手あってのこととは、コレ恋ヲシラズ。どうやら「孤悲」と書いた万葉人(たとえ都のエリートでも)よりずっと、それをキザと嫌ったわたしはじぶんの恋にも真剣でなかったらしい……。

 じぶんを愛でること。それは狂気のようでいて、君に恋つつあるより、ずっと正気の沙汰。その正気なくて、どうやって人を愛せる? わたしといえば相変らず気がふれてて(笑)。

こひつつ今日けふらしつ。



追書 今回、一九六〇年代をモチーフに書き始めたのは、引用したい手紙があったからなのですが、文章のかたるにまかせて、べつの着地となってしまいました。その手紙とからめて、小林秀雄さんも『本居宣長』補記Ⅰで語られている、プラトン『パイドロス』について書くつもりでしたが、わたしの力量では今回と同じ文量がいるなとおもい、次回に第5章♡後篇として見送ることとします。
 この本は、哲学などといわれておりますが、テーマはなんと「〝魂し合〟う人とするべきか、そうでない人とが賢明か」(笑)。古代ギリシャの都市アテネの市民でただひとりソクラテスだけが〝魂し合〟う人とやるべきだ、と万葉魂でもっていう。
 今でいうひろゆきさんみたいなのがいて、本を書いていて、そうでない人とがいい「正論」をふりまいており、一人の若者がその本をもってひろゆきさんのとこから都市へ帰って来る。そこでソクラテスをみつけてその話をするわけです。ほいじゃ、ちょっと塀の外の小川の木の下にでもいってその本を検証しようじゃないかという。
 さて論旨のところを若者に音読させて、ソクラテスはまず同じ「そうでない人とが賢明」の立場に立ち、もっともっともらしいことを言う。若者は感激して、あなたの方がひろゆきさんよりずっとすごい! と喜ぶ。
 すると、突然ソクラテスは「これはまずいことを言った」とあわてだす。「おれたちはいま恋について話していたよな。恋っていうのはエロースという神さま、もしくはその司るとこのもんじゃない? そしたらおれたちここで神さまのわるくちいったわけだ。おお偉大なるエロースよ、とり急ぎ申しあげます〝取り消しの詩〟でどうかわが口をすすがせてください」。
 あえて執筆者を引き合いに出せば、ここからが〝表現の『めでたさ』〟。意味でなく文体が響せる、不滅の詩文です。(次回はこれを賞味します)
 そしてこの本は、恋の話になぜか文字のことが関わってくる。文字はわたしたちに記録術をもたらすが同時に記憶力を失くさせる、これがソクラテスの考えです。次号までお待ちを!

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