『土地と記憶』

原凌

その十一『それから』論

その一「江戸川と御濠の流れ」

【梗概】

 代助は、三十歳、独身の高等遊民である。帝国大学を卒業したのちも、働くことなく、独自の哲学に従って暮らしていた。実業家の父の援助を受け、青山の実家から離れて暮らしている。女中と書生・門野と、三人。神楽坂の牛込である。実家には父の他に、兄とあによめの梅子、そしてその子どもたちが暮らしており、折々、代助は実家に帰っては資金を調達している。

 物語は、代助の旧友、平岡が、東京、小石川に戻ってくることに端を発する。小石川から牛込までは、江戸川を挟んで、歩いて三十分もかからぬほどの距離だ。妻の三千代と平岡、そして代助。三者は、学生時代から深い結びつきを持っていた。代助は学生時分、自らの正直な心(三千代への恋慕の情)にさかい、義侠心から、親友の平岡に三千代を斡旋、二人を結ぶその媒となった。平岡夫妻にはその後、厳しい運命が待ち受けていた。平岡は、勤め先で揉め事の渦中に巻き込まれて失職、三千代との間に生まれた子供も夭折し、三千代も体を悪くする。平岡は放蕩に耽る様になり、次第に夫婦の間には亀裂が入ってしまう。平岡夫婦が小石川に暮らしはじめたのは、平岡が職を探すべく、新たな出立に歩を進めた時のことだった。世間の荒波に揉まれ、実際的な人間として、人格の変わった平岡。代助は平岡と話す度に、昔の間柄に立ち返ることの難しい、精神的な隔たりを痛感する。一方、経済的に呻吟し、夫婦仲に就いても問題を抱えて苦しむ三千代の境遇を知るうちに、代助は、三千代への憐憫の情を強く抱くこととなる。

 一方、実家では、父や兄嫁が政略的な結婚を代助に迫っていた。代助といえば、のらりくらりと縁談をかわしていたが、徐々に父との関係も悪くなる。持ち込まれた婚約の話に耳を傾けられないのは、三千代がいるからである。代助は少しずつ、そう自覚してゆく。実家の縁談と旧友の妻たる三千代と、その間に挟まれて、代助は三千代を選ぶことを決意していく。三千代もまた、学生の頃から、代助に思いを寄せており、平岡との関係が悪化するにつれて、代助とともに生きる決意を固めてゆく。

 地名を声にするだけで胸が躍る。車掌さんの真似事をして、中央線、総武線の一駅、一駅の名前を呪文のように唱えていた少年時代。『それから』を読むうちに、地名とその土地の描写に心を入れて読むようになった。神楽坂、飯田橋、小石川、本郷の台地、江戸川、濠端。漱石にとっても馴染み深い、正に故郷ふるさとと云っていいような土地が繰り返し、描かれる。漱石にとっても、その地名を書き、想像するだけで、心が動くような、そんな土地だったに違いない。読みながら確信するようになった。僕にとってもまた、この土地は馴染み深い。地元仲間じもてぃとして、景色を分かち合っていきたい。

【江戸川の流れ】

 江戸川とは、神田川中流の別名である。代助の暮らす牛込神楽坂から、平岡と三千代の暮らす小石川、竹早町までは、江戸川を渡って行かねばならない。双方とも台地に暮らし、川まで一気に駆け下りて、そしてまた、片方は本郷台地を、片方は武蔵野台地を一気に登らなければいけない。新宿区は、歴史的な地名を今尚残す珍しい区であり、川の南側、牛込の方へゆく揚場あげば、東五軒町、西五軒町、作品に登場するこれらの地名も現存している。江戸川を挟んで文京区、川の北は、関口、水道、小日向、小石川。竹早は、学芸大学付属竹早の校名にも残っている。水道も関口(堰口)も、揚場も、江戸の水運、流通と深いかかわりをもっている地名である。関口の西は、結婚式場としても名高い椿山荘ちんざんそうのある目白台、そして早稲田。早稲田という地名も、文字通り、稲作とかかわりがある。隅田川の河口から関口までの神田川流域は、海の影響、つまり潮の満ち引きに左右される流域であった。関口の西、早稲田の地になってはじめて、江戸川の水は海の影響を免れ、稲作が可能になったのである。こうした観点から云うと、代助と三千代とが交る交るに行き来した江戸川は、水辺の中でも、海の、東京湾の、江戸湊の香を残す土地である。

 代助は晩飯ばんめしも食わずに、すぐまた表へ出た。五軒町から江戸川のへりを伝って、河を向うへ越した時は、先刻さっき散歩からの帰りの様に精神の困憊こんぱいを感じていなかった。坂を上って伝通院の横へ出ると、細く高い烟突えんとつが、寺と寺の間から、汚いけむを、雲の多い空に吐いていた。

 代助が江戸川を渡るのは、平岡の宅へ行く為、その多くは三千代に逢う為である。この河が、夢の扉をひらくこともあれば、現実うつつの厳しく苦しい門となることもある。兎にも角にも江戸川は、っと、代助の運命を見つめていた。

 先に挙げた描写は、本作品の中で、はじめて具体的な地名とともに江戸川周辺が描かれた一文なのであるが、漱石が待ちに待ってこの描写を草した様に感じられてならない。歓びに踊り始めてしまう子供の様に、代助も、心温まる歓びから、坐ってなんかいられない。思わず家を飛び出してしまう。晩飯も忘れて、思い煩いも吹き飛び、一日の疲れもどこかに流されて、江戸川を渡って行く。

 代助はすぐ返事を書いた。そうして出来るだけ暖かい言葉を使って感謝の意を表した。代助がこう云う気分になる事は兄に対してもない。父に対してもない。世間一般に対してはもとよりない。近来は梅子に対してもあまり起こらなかったのである。

 心あるやりとりと、近い将来への期待に胸を高鳴らして、代助は江戸川に向かった。背景には、困窮する三千代から、金を貸してほしいと頼まれたことがあった。職をもたない代助が金を貸せるはずもない。代助は実家の嫂、梅子に金を無心する。直かに、一度は断られるも、嫂は情をこめて、手紙に小切手を添えてきた。この金は、梅子の人情に触れたものであると同時に、心から助けたいと願う三千代への力強い援助ともなるのであった。

 いな女のこう云う態度の方が、却って男性の断然たる処置よりも、同情の弾力性を示している点において、快よいものと考えていた。だから、もし二百円を自分に贈ったものが、梅子でなくって、父であったとすれば、代助は、それを経済的中途半端と解釈して、却って不愉快な感に打たれたかも知れないのである。

 梅子の情、心ある態度、批評家的な気質を持つ代助には珍しい、感謝の念が心に芽生え、三千代の期待にも応えられるという心躍り、疲れを知らない精神の高揚が感じられる場面に、江戸川が描かれているのが嬉しい。心が心として生き生きしているとき、水辺が代助をとらえている。

 それで彼は進んで平岡を訪問するのを避けていた。散歩のとき彼の足は多く江戸川の方角に向いた。桜の散る時分には、夕暮れの風に吹かれて、四つの橋を此方から向うへ渡り、向うから又此方こちらへ渡り返して、長いどてを縫う様に歩いた。がその桜はとくに散てしまって、今は緑蔭りょくいんの時節になった。代助は時々橋の真中に立って、欄干に頬杖ほおづえを突いて、茂る葉の中を、真直に通っている、水の光を眺め尽して見る。それからその光の細くなった先の方に、高くそびえる目白台の森を見上てみる。けれども橋を向うへ渡って、小石川の坂を上る事はやめにして帰る様になった。ある時彼は大曲おおまがりの所で、電車をおりる平岡の影を半町程手前から認めた。彼はたしかにそうに違いないと思った。そうして、すぐ揚場の方へ引き返した。

 三千代に先刻の金を貸した後のこと、金に就いては、平岡が代助の元を訪ずれ、謝意を表した。ただ、平岡は妙な言葉を口にする。「『僕も実は御礼に来た様なものだが、本当の御礼には、いずれ当人が出るだろうから』とまるで三千代と自分を別物にした言分であった」。代助としては、夫婦の一体感を欠くこの発言に奇妙さを覚えつつも、それから、「心待ちに三千代の来るのを待っていた」。とはいえ、なかなか思う様には事は進まない。「けれども、平岡の言葉は遂に事実として現れて来なかった。特別の事情があって、三千代がわざと来ないのか、又は平岡が始めから御世辞を使ったのか、疑問であるが、それがため、代助は心の何処かに空虚を感じていた」。この空虚は一体何処から来るものであろう。「この経験自身の奥をのぞき込むと、それ以上に暗い影がちらついている様に思った」。そこまで、感じ取っていた。平岡とは別に、三千代独りで代助を訪れることは、二人の関係がより一層密に、重くなってゆくことをも意味していたからである。先の江戸川の風景は、こうした代助の心の動きを委しく解き明かした直後に描かれている。平岡には会いたくない。そりが合わないだけでなく、何処とはなしに、後ろめたさがあるのかもしれない。それでも、代助の足は、自然と江戸川へ、水辺へ、三千代のいる方へ。ぼんやりと物を眺める人、緑に顔を射られ、光と戯れる水面みなもを見詰める人。縫う様に江戸川を伝う。まるで、江戸川にかれてでもいるかの様に。橋から光を眺め、目白台を眺め、小石川を眺める。渡りはしない。それでも、江戸川の流れが、彼の心を落ち着かせる。大曲の急カアブは今尚、建材の神田川の名所である。

 代助は門を出た。江戸川まで来ると、河の水がもう暗くなっていた。彼は固より平岡を訪ねる気であった。から何時もの様に川辺かわべりを伝わないで、すぐ橋を渡って、金剛寺坂を上った。

 代助が、決意して三千代に逢いにゆく場面である。代助の待った三千代は、遂に、牛込に独り姿を現す。この際に、三千代は、二人の過去、親しかった過去を想起させる百合の花を携えてゆく。ここでも夢と現とが混在するような、美しい遣り取りがあり、二人の間には、さらに親密な雰囲気が醸成されたのだった。

 三千代の訪問の後、代助は「アンニュイ」に陥る。何時も、無目的に何かをすることを信条としている代助、目的の為の手段としての散歩への嫌悪すら持つほどの高等遊民である代助だが、何処をほっつき歩こうと、生活は停滞している。心の何かを無視しているが故に、いつものやり方では、生が行き詰ってしまったのだった。予感は高まる。運命の足音がはっきりと刻まれるようになってくる。「が、最後に、自分をこの薄弱な生活から救い得る方法は、ただ一つあると考えた。そうして口の内で云った。『やっぱり、三千代さんに逢わなくちゃ不可いかん』」。こうして、幾つかのしがらみを越えて、夜の江戸川へと立ったのがこの描写である。その日だけで、もう三遍目の散歩であった。川辺を伝うことはせず、まっすぐに橋を越え、台地を駆け上る。金剛寺坂は細く、急峻な坂である。登って振り返ると、令和八年の今日でも、大きな空を戴いて、櫛比しっぴする建築物を一望することが出来る。若き永井荷風も通った坂であり、新撰組とも縁のある土地だ。

 代助は竹早町たけはやちょうへ上って、それを向うへ突き抜けて、二三町行くと、平岡と云う軒燈のすぐ前へ来た。格子こうしの外から声を掛けると、洋燈ランプを持って下女が出た。が平岡は夫婦とも留守であった。代助は出先も尋ねずに、すぐ引返して、電車へ乗って、本郷まで来て、本郷から又神田へ乗り換えて、そこで降りて、あるビヤー、ホールへ這入って、麦酒ビールをぐいぐい飲んだ。

 代助が酒精の力に頼るのは、珍しいことであった。とにかく、もう、三千代と出逢わなければ解決し得ぬものを抱いて、彷徨さまよう人となる。江戸川を越えて、予定も知らぬまま、性急に坂を駆け上がっていった代助。三千代と逢うのが叶わなければ、もう何かに溺れるしかない心の袋小路に陥っている。神田という雑踏の街、江戸時代の市場であり、職人町であり、まだそうした活気の残った土地だったはずだ。孤独な人間にとっては、かえってそうした街の方が落ち着けるものだ。

 次の描写は、実家から迫られた縁談を逃れる為、代助が、一時的に旅へ逃げようと企てていた晩のことである。「彼は又旅行案内を開いて、細かい数字を丹念に調べ出したが、少しも決定のはこびに近寄らないうちに、又三千代の方に頭が滑って行った。立つ前にもう一遍様子を見て、それから東京を出ようと云う気が起った」。これもまた、衝動的な行為である。小石川の三千代を訪ねると、平岡は、またしても不在だった。冷め切った夫婦の間柄を目の当たりにすると同時に、先日代助が貸した金も、既に生活費に流れ、困窮する三千代を知ることとなる。ここでも、代助は唐突に、心のままに動き出す。

 代助はその夜九時頃平岡の家を辞した。辞する前、自分の紙入の中に有るものを出して、三千代に渡した。その時は、腹の中で多少の工夫を費やした。彼は先ず何気なく懐中物を胸の所で開けて、中にある紙幣を、勘定もせずにつかんで、これを上げるから御使なさいと無雑作に三千代の前へ出した。

 断ろうとする三千代に、代助も引けを取らない。「『大丈夫だから、御取んなさい』としっかりした低い調子で云った。三千代はあごを襟の中へうずめる様に後へ引いて、無言のまま右の手を前へ出した。紙幣はその上に落ちた。その時三千代は長い睫毛まつげを二三度打ち合わした。そうして、掌に落ちたものを帯の間に挟んだ」。

 好かれよう、気に入られよう、そう云う心持ちから施したものと、気づけばそうしていたものと、二つの間には、はっきりとした境目があるように思う。代助はこの日、忽然、三千代の顔を見ようと思いつき、平岡の家に赴くと、経済的にも、夫婦の情という観点からも、苦しい状況に立たされる三千代を目の当たりにして、三千代の為に何とかしたいという気持ちになった。打算的な心から始めた行為と、金を貸すという帰結自体は同じかもしれない。しかし、心の正直に従った時に、人は美しい景色を知る。夢の中にいる様な心を知る。幸福に出逢う。

「又来る。平岡君によろしく」と云って、代助は表へ出た。町を横断して小路こうじへ下ると、あたりは暗くなった。代助は美しい夢を見た様に、暗いを切って歩いた。彼は三十分と立たないうちに、吾家わがいえの門前に来た。けれども門をくぐる気がしなかった。彼は高い星をいただいて、静かな屋敷町をぐるぐる徘徊はいかいした。自分では、夜半まで歩きつづけても疲れる事はなかろうと思った。とかくするうちに、又自分の家の前へ出た。中は静かであった。門野と婆さんは茶の間で世間話をしていたらしい。

 再び、「疲れをしらない」散歩がはじまる。江戸川の描写はでてこない。が、この描写の余白、小石川から牛込までの暗い道の中途には江戸川が流れている。夜を切る夢の如き散歩こそ、無私の歓びである。打算的な人間とのやりとり、人間同士の低俗な競争を強いる文明への嫌悪、そうした代助の独白が絶えぬ本文において、心が歓びで横溢しているような代助は、あまり見る事ができない。

 代助はこの夢のような散歩を果たした翌日、旅に逃げることをやめ、実家に向かう。父は不在ではあったものの、迫られた縁談について、煮え切らない態度をとることを已め、縁談をはっきり断る旨を嫂の梅子に伝える。幾度となく縁談をかわしてきた代助であったが、今回の縁談は経済的、政略的に父が強く望むものであり、これを断ることによる実家との関係悪化は避けられないのだった。「『姉さん、私は好いた女があるんです』と低い声で云った。」梅子は、長らく代助と父との間を取り持ち、代助とも交友関係をもっていたが、こうした告白は、初めてのものだった。「顔付と云い、眼付と云い、声の低い底にこもる力と云い、此所まで押しせまって来た前後の関係と云い、すべての点から云って、梅子をはっと思わせない訳に行かなかった。嫂はこの短い句を、ひらめく懐剣のごとくに感じた」。代助には、今までにはない覚悟があった。家族を、友人を、社会を敵に回す覚悟で三千代を取ることに決めていたのだ。それを嫂も悟る。父には直接断りを入れると伝えるや、代助はまた水辺へと歩きだす。今回は江戸川だけではない。神田川の水をひく、御濠端も登場する。詳しい地名とともに代助が描かれる。

 津守つのかみを下りた時、日は暮れ掛かった。士官学校の前を真直に濠端ほりばたへ出て、二三町来ると砂土原町さどはらちょうへ曲がるべき所を、代助はわざと電車みちに付いて歩いた。彼は例のごとくにうちに帰って、一夜を安閑と、書斎の中で暮すに堪えなかったのである。ほりを隔てて高い土手の待つが、眼のつづく限り黒く並んでいる底の方を、電車がしきりに通った。代助は軽い箱が、軌道レールの上を、苦もなく滑って帰る迅速な手際てぎわに、軽快の感じを得た。その代り自分と同じみちを容赦なく往来ゆききする外濠線の車を、常よりは騒々しくにくんだ。牛込見附うしごめみつけまで来た時、遠くの小石川の森に数点の灯影ひかげを認めた。代助は夕飯ゆうめしを食う考もなく、三千代のいる方角へ向いて歩いて行った。
 約二十分の後、彼は安藤坂を上って、伝通院でんづういんの焼跡の前へ出た。大きな木が、左右からかぶさっている間を左りへ抜けて、平岡の家の傍まで来ると、板塀いたべいから例の如く灯がしていた。

 ふたたび、家の書斎でじっとすることのできぬ、魂の動きに誘われて、夜の濠端まで来た。こちらも水辺、江戸時代に平河(今の神田川の古い名)の流れを工夫しつつ城の廻りに張り巡らした水辺である。今でいう、市ヶ谷から飯田橋までの外濠通りを歩く代助。地名まで詳らかに描かれている。牛込見附は、現在の飯田橋駅付近。今、ここから小石川の森(小石川植物園)を望むことは難しくなった。代助は、そちらの灯を見るや、遅疑なく、平岡家に向かった。

 三千代に告白しなければならない。その覚悟をもって、実家の縁談に断りを入れた。しかし、居ても立っても居られない代助とは裏腹に、三千代と直ぐに逢って話しを付けられる訳ではない。御濠から、一気に小石川に来た時も、同様である。平岡の家からは、平岡と三千代、二人の声が聞こえてきた。代助は逸る気持ちを抑えられず、思わず中の様子を盗み聞きしようとする。どんなに恥ずかしいことかわかっていても、卑しい行動に出てしまう所が、生々しい。また江戸川を越えて牛込の宅に戻ってくるが、この時は、今までに見られたような、心の開かれた、街の情景がすっと心に入ってくるような散歩にはならない。疲れ知らずの散歩にはならない。エゴに苦しむ様子が、散歩と江戸川の描写からも見え隠れしている。もう、江戸川を越えても、川は目に留まらないのかもしれない。

 しばらくは、何処どこをどう歩いているか夢中であった。その間代助の頭には今見た光ばかりがり付く様におどっていた。それが、少し衰えると、今度は自己の行為に対して、云うべからざる汚辱の意味を感じた。彼はなんゆえに、かる下劣な真似をして、あたかも驚かされたかの如くに退却したのかを怪しんだ。彼は暗い小路に立って、世界がいま夜に支配されている事をひそかに喜んだ。しかも五月雨さみだれの重い空気にとざされて、歩けば歩く程、窒息する様な心待がした。神楽坂上へ出た時、急に眼がぎらぎらした。身を包む無数の人と、無数の光が頭を遠慮なく焼いた。代助は逃げる様に藁店わらだなのぼった。

 雨の描写についても、また考えてみたいことがあるが、今は一度先に進もう。こうした煩悶の翌日、代助は三千代への告白を敢行する。

 牛込に三千代を呼び、告白をする。「『僕の存在には貴方が必要だ。どうしても必要だ。僕はそれだけの事を貴方に話したい為にわざわざ貴方を呼んだのです。』」。三千代は泣きながらも、代助を受け入れる。過去に、どうして私を棄てたのだ、そう迫りつつも、自らの運命に従い、代助の願いを容れた。それは、平岡を切ることでもあった。

「仕様がない。覚悟を極めましょう」
 代助は背中から水をかぶった様に顫えた。社会からい放たるべき二人の魂は、ただ二人むかい合って、互を穴の明く程眺めていた。そうして、凡てにさからって、互を一所に持ち来たした力を互とおそおののいた。
 しばらくすると、三千代は急に物に襲われた様に、手を顔に当てて泣き出した。代助は三千代の泣くさまを見るに忍びなかった。ひじを突いて額を五指の裏に隠した。二人はこの態度を崩さずに、恋愛の彫刻の如く、じっとしていた。
 二人はこう凝っとしている中に、五十年をのあたりに縮めた程の精神の緊張を感じた。そうしてその緊張と共に、二人が相並んで存在しておると云う自覚を失わなかった。彼等は愛の刑と愛のたまものとを同時にけて、同時に双方を切実に味わった。

 今後の一生を決める告白の晩、二人が別れた地もまた、江戸川であった。二人が何処で別れるのか、如何様に別れるのか。漱石は色々思いめぐらしたはずだ。江戸川の夜の冷たい流れの上こそ、別れるにふさわしい。江戸川にかかる橋の夜。代助の夜。三千代の夜。雨に包まれた夜。この物語の核にあたる地点に江戸川の流れが横たわり、雨の音と、川のせせらぎとを想像して、二人の夜に想いを馳せる。

 しばらくして、三千代は手帛ハンケチを取って、涙を奇麗にいたが、静かに、
「私もう帰ってよ」と云った。代助は、
「御帰りなさい」と答えた。
 雨は小降になったが、代助は固より三千代をひとり返す気はなかった。わざと車を雇わずに、自分で送って出た。平岡の家まで附いてく所を、江戸川の橋の上で別れた。代助は橋の上に立って、三千代が横町を曲るまで見送っていた。それからゆっくり歩をめぐらしながら、腹の中で、
「万事終る」と宣告した。

 この後、代助は平岡を宅に呼び、真相を告げる。自らが三千代を愛していること、三千代もそうであること、平岡夫婦にはもう既に愛情がないこと、かつて義侠心によって、平岡と三千代との間を斡旋したことへの謝罪。一方の平岡も、かつての親友から裏切られたことへの怒り、また世間体にまつわる名誉心を損なうことへの恐れ。感情が入り乱れる会合を通じて、三千代が原因不明の体調不良に陥っていることを知る。平岡は、三千代の介抱の責任を担い、看病することまではしたいと言い切る。一方、とにかく三千代を引き取りたい代助は、平岡が、三千代を自分に渡すといいつつ、病気の看病を口実に、死ぬまで三千代に会わせない魂胆なのではないか、と疑心暗鬼になり、狂気じみてゆく。

 平岡との面会が済んだ後のことである。不安にかられた代助が平岡邸を訪問する場面が描かれる。

 寺町の通りまで来た。暑い時分の事なので、町はまだ宵の口であった。浴衣ゆかたを着た人が幾人となく代助の前後を通った。代助にはそれがただ動くものとしか見えなかった。左右の店はことごとく明るかった。代助はまぶしそうに、電気燈の少ない横町へ曲った。江戸川のふちへ出た時、暗い風がかすかに吹いた。黒い桜の葉が少し動いた。橋の上に立って、欄干から下を見下していたものが二人あった。金剛寺坂でも誰にも会わなかった。岩崎家の高い石垣が左右から細い坂道を塞いでいた。
 平岡の住んでいる町は、なお静かであった。大抵な家は灯影を洩らさなかった。向うから来た一台の空車からぐるまの輪の音が胸を躍らすように響いた。代助は平岡の家の塀際へいぎわまで来て留った。身を寄せて中をうかがうと、中は暗かった。立て切った門の上に、軒燈がむなしく標札を照らしていた。軒燈の硝子ガラス守宮やもりの影が斜めに映った。

 ここでは、江戸川の夜景、守宮が、不安の影のように描かれる。暗い風、黒い桜、橋の上に立つ見知らぬ者達。書かれてはいないが、この橋の上に立つとすれば、二人が別れた瞬間を思い出さぬはずがない。橋の上で凝としようにも、そこに人がいたのでは、孤独になれぬ。代助の心も、光を求めていない。暗い風と黒い桜とを求めている。独りになりたい、静かな町を彷徨いたい。そう願っているように感じられる。黒い守宮は、不吉な前兆として受け止められた。「彼は立ち上がった。惘然もうぜんとして又歩き出した。少し来て、再び平岡の小路へ這入った。夢の様に軒燈の前で立留まった。守宮はまだ一つ所に映っていた。代助は深い溜息ためいきを洩らして遂に小石川を南側へ降りた」。

 代助は、この後、実質的に実家からの勘当を受け、今までひたすらに拒んでいた、俗世で金の為に働くという選択肢を取らざるを得なくなる。目的の為の手段は下卑ている、常にやっていることそのものが目的でありたい、貴族的に生きたい。そうした代助の人生観は、三千代を選び、実家から勘当をうけることで、果たせぬ夢となった。「『門野さん。僕は一寸職業を探して来る』と云うや否や、鳥打帽を被って、傘も指さずに日盛りの表へ飛び出した」。

 電車に乗るために、御濠を渡る。「飯田橋へきて電車に乗った。電車は走り出した」。水、雨、川、御濠、代助を包んでいた水のイメージが(雨、その他の水の描写は、次回以降で見ていきたい)、最後の赤い、炎のイメージに焼き尽くされる。炎のイメージが本文の結末で劇的な効果を上げている。

「ああ動く。世の中が動く」とはたの人に聞える様に云った。彼の頭は電車の速力を以て回転し出した。回転するに従って火の様にほてって来た。これで半日乗り続けたら焼き尽す事が出来るだろうと思った。
 たちまち赤い郵便筒ゆうびんづつが眼に付いた。すると赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘こうもりがさを四つ重ねて高く釣るしてあった。傘の色が、また代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を捲いた。四つ角に、大きい真赤な風船玉を売ってるものがあった。電車が急に角を曲るとき、風船玉は追懸おっかて来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはっと電車とれ違うとき、又代助の頭の中に吸い込まれた。烟草屋たばこや暖簾のれんが赤かった。売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりとほのおの息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した。
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