廻転

月草偲津久

『多重露光のわたしたち』

この世界に神さまがゐないなんて
識つてしまつた幼いころの私は
作りかけで止めてしまつたプラモデルを視たときの
悲しい雲の流れを観察しつづけるのでした。

愛ほしい木々の葉擦れのなかにも
大脳のどこかでは苦しむ彼女を思つたり、
観音崎の蒼い坂道や 狼森の春景が
この一瞬に並行して存在してゐるのです。
様々な彼らの多重露光が世界を創つてゐました。

それらの景色のなかにも 神さまがもうゐない
とは児童たちに言へる訳がないのに
けふも笑顔で教壇に立つ私は 気狂ひでせうか。

死に際になにも言ひ残さないあの人たちは
あの日ゐなくなつた神さまによく似てゐて、
突然襲はれた空虚さを
世界だつて感じてしまつたのです。
あんなに生命力で満ちみちた 寂しい夏の終はり
人々を魅せてやまない 桜の散りざま
けれどもやつぱり美しくて、
いま、生きてゐるからこそ 美しいのです。
だから私は児童たちに、生きることを説くのです。かね。


『落丁したお伽噺』

風がてらてらと輝きだしたころ、
空いつぱいに広ごる青の景には、
横須賀で視たやうな海のいろもあるのですが、
ただひたらすら似 悲しみみたいな。

増水した大和沢川の畔で死んでゐた。
だれかの愛した思ひ出の詰まつた毛皮が、
秋の陽に照り返す水晶石のなかで、
もう愛されない風体であることを識りながら、
艶やかに、たしかに幸福であるらしいのでした。

慈しむためだけに生まれてきたやうな花でさへ枯れるのは、
きつと別れることこそが、最も美しく魅せられるからでせうか。

そんなとりとめないお伽話を呟き、
真つ直ぐに足は狼森の坂を目指して、
気づけば林檎畠のなかを急勾落してゐました。
もうすぐであの急カーブですが、
止めるすべなんてほんとにまつたくないのでした。
だから両手をいつぱいに広げながら、
木々のあを 空のあを 私たちのあをを!
愛すべきだつた 愛されなかつた あのあをを
哀しむべきだつた 哀しめなかつた あのあをを
一身に受けとめながら、もうすぐ。


『感情戦線』

自分が屑れた 音が 下
  野歩歩んとしてゐる 裡に
 すべてをクウリングオフ去れた 日
君たちの足音が 月光 を 奏でてゐた

小栗山駅の 電話ボツクス でも
 愛は 知つてゐたらしいのに
横這ひの感情戦線 沿線に なよぶ
  ゆつくり ゆつくり 白湯になる

  復路は どうにも 心 侘びしい

 扇状の中心点からは のぼらず
根底を奇麗にねぶる 修羅つて なあンだ
 君は答へを 知つてゐる 不離
  歴々と 残りの脳漿を 淘げる

夢日記を病めた 眼球の春 のらり
 おぼつかない躁 ぶち撒けた歯車
   どこかで かわいい 猫になれ
感情戦線 本日 休戦 ノボル 月草

  復路は どうにも 心 侘びしい


『ダカーポ未明』

森の情景を繰り返す
数多の水滴に加へる
松林の膝下に在つた
小さなあの頃の美意識が
もう何度目かの砲撃ののち
僕らの過去は 無惨になる
観音崎で聴いた潮鳴りも
聴えない

きららかな 木漏れ日の明滅
よみがへる 幼少の津軽の匂ひ
川のせせらぎと 湿る苔の青臭さ
僕が築いた石の堤は
手を加へた流れのさきは
ずぶとく 細く また延びて
もとの流れへ 歸つてゆく

整へられた新田名部川の深底は
見つけてもらへなかつたあの子が
流れに負けないやうになつて
いつまでも 底にゐた。
時をり息をするやうに跳ぶ
僕やアナタの思ひ出が
やがて汽水域に喘ぎながら
もう自由になつて 広い 広い 海へ

潮の流れに押し戻され
とほくの漁船の漁火にも惑はされず
捉はれず 捕はれず もつと流れ
懐しい 匂ひがした。
あれは幼い頃に きららかな瞳の僕が
映したきららかな銀の浪
あゝ あれはたしかに
祖父と祖母との匂ひのあひまに
視た はじまりの 海

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