どこかとほくで

月草偲津久



 夢を見た気がした。目醒めればいつも目には涙が溜まっていて、何かとても大事なものを見た気がしている。
 それが一体なんだったのか、思い出そうとするたびに、突如角膜からコンタクトレンズが剥がれ落ちたみたいに、夢での記憶が輪郭ごとぼやける。同時に目の前に広がる現実の、妙に低いロフトの天井やら、今は命を失っている室内灯の電球なぞばかりが明晰になっていく。気がつけば、私はもう現実側の存在になっているのだ。
 夢ではきっと悲しかったに違いない。けれども何に悲しんでいたのかも判らず、判らないままの悲しみを延長させることもできないので、私は今日のこれからの事を思い巡らし、ゆっくりと身体を朝に向けて起こすのだ。




『せい/し』

私は白い海の上にゐる。
永遠の凪か、停まつた時間か、
あるゐは一枚の絵画の中に、
じんわり収まつてしまつたのでせうか。

私は青い空の下にゐる。
雲なんてひとつもあるはずがないのに、
頭の中で描かうと思へばその瞬間から。
空は私だけのものになるのでした。

夢中になつてゐると時をり遠くから、
幽かな波紋が寄せてきた気もするのですが。
そんなはずはないのです。
そんなはずはない(と思ふ)のです。

ふと夜の星月が恋ひしくもなるので、
やつぱり涙のひとつでも落としたいのですが。

青い蒼い空に一条、眞つ白な流星みたいな君が来て、
いつまでもいつまでも忘られない切り傷を私の前に遺すのです。
本当にそれは土曜日の包丁の危ふさに似て、
懐かしくて、美しくて。
いつか空の傷口から流れだしてくるまでは、
終はりの凪を感じてゐたいのです。
その時にやつと私が奇麗になつてゐますやうに。


『踊らされないやうに。』

あの頃奇麗だつた踊り子の衣裳も、
もうすつかり青ざめてしまつて、
月の凪い夜だけならとこつそり、
影のない陰が舞を捧げてゐるのです。

「しあはせな人生を送りませう!」
にんまりとした先生の口からは、
よだれのやうな讃歌が止め処ないので、
思はず堪へた嘔吐きが気づかれないやう必死で、
美しい黒板の文字がずつと思い出せないのです。

心の重さを知りたいから、放課後は
電子秤のうへにボールペンを置いて、
あとは指先を乗せてみたのですが、
数値は変はらず「21g」を表示しつづけるのでした。

泣きたいのなら泣きませう!
電球だつて疲れたり限界したりすれば、
あつといふ間に切れてしまうのですから。
それでも彼はいまだに私の夜の読書を援けてゐます。
昼の間は必要とされなくても。
夢までは届かないとしても。

だからどうかあなたは口を開いて
自身の澱を吐き出してでも、
商店街を駆け抜けませう!
約束の坂道はきつと遠いでせうから、
雲に訊いてごらんなさい。
私はそこで待つてゐますから。


『とり残されないやうに。』

雪の結晶を拡大すればあんなに奇麗だなんて、
教へてくれてゐたならば、きつと私は良い子でした。
潮の満ち引きと友達になりたくて、
磯にとり残されたときの歓びを忘られないのです。

真夜中の学校は卒業式よりも美しくて、
誰もゐない教室の椅子たちは支配者からの解放を高らかに唄ひ、
差し込む月灯かりは昼よりもなほ昼らしく、
この独立記念日を祝ひながら私の心を捉へたのでした。
それが刹那の幸福であつて、
陽が昇ればまた尻に敷かれるやうであつても、
一瞬の幸福だからこそ、我々はより確実に勝者なのでした。

「この怨まれる祝宴を永らへませう!」
指導者のゐない教壇を蹴飛ばせば、
教室といふ概念なんて簡単に吹き飛んでしまうのです。

校庭に佇む二宮くんが熱心に読む本に栞を置きませう。
あなたの取り入れた知識が、永久であると信じて。
私が生きた瞬間が、飽和しないやうに。
君が生きる瞬間が、夜にとり残されないやうに。


『届きますやうに。』

丘のうへの鐘が遠鳴りする真昼間の静寂、
その音が躓いたあなたの膝の疵口に届きますやうに。
もう歩かなくてもいいのです。
そこらの野石でほんのわづか休んではいかがでせう。

窓硝子のやうに透き通つた感情に、
爪で何度も瑕を付けようと試みるのですが、
陽光のまぶしさに負けた私は、
瑕の有無を確認する間もなく眠りに落るのです。

真昼間は夢の前では闇に沁み込み、
私だけの舞台上には主人のゐないマイクスタンドが、
出力のしない私の言葉を待ち続けてゐるのです。
「私の言葉は腐つた未完」
それは拡がり繋がり観客を伝ひ、
完璧な演出は無人のカーテンコールの中でも、
ただの無情な完成を遂げるのでせう。

だからスポツトライトなど、月灯りで充分なのです。
星々だけではすこし心許ないけれど、
それはそれで、目に優しい演目になるのでせうね。
薄明かりならきつとあなたを見つけられると思ふので。



『醒めないやうに。』

安らかな笑みを浮かべて眠るあの人は、
春の野原に一人でタンポポの隣りに立つて、
決して散らない花弁に息を吹きかけながら、
遠くなつてしまつた大切な人へ。

さよならが何度も風のやうにやつて来るのは、
あなたにも永続的に逢へるといふことで、
忘れられない歓びを花束みたいに抱きしめて、
溢れた記憶が足許に散らばるのにも気づかないのでした。

黙殺されたのはあなたの現実でせうか。
それともわたしの夢でせうか。

遠いところでひとつだけ浮かぶあの雲が、
ゆつくりこちらにやつて来る頃には、
ここらもすつかり変はり果ててしまうでせう。
あのタンポポも遠くに行つて、
わたしはここでまたひとり。
遠ざかつたあなたが来るのと、
遠いあの雲が来るのと、
どちらが先になるでせうね。
哀しいならタンポポも還つてくるはずです。
だからきつとわたしはここにゐるのです。
きつと、そのはず、


『飛ばないやうに。』

朝、目が覚めると外は雪よりも真つ白で、
それは気持ちのよい空気が愉しめるだらうと、
玄関どころか、いまこの窓から飛び出したい慾求を、
諫めるやうに舞ふ埃がとても綺麗で。

「生きてゐるかぎり生きられるなら生きる方がよいでせう」
言葉遊びばかりのあなたはただ「死にたくない」が言へなくて、
チヨークの粉だらけになつた指先で必死に、
素直だつたあの頃の言葉を思ひ出さうとしてゐるのでした。

「好きだ」「嫌ひだ」「美味しい」「不味い」「美しい」
それはあまりに短く単純で強力なのですが、
あなたの口はその一言に耐へられなくて、
発するごとに心を消耗してしまうのです。

「美しく、生きる」方法がいつまでも見つからなくて、
泥濘にまみれる方がよつぽど奇麗に思はれたりして、
繋がらない思考と現実がより現実感を帯びるのでした。

朝、目が覚めると珈琲の香りが漂つてゐます。
閉じられたカーテンからは白い光が漏れ出し、
その先がすごくすごく気になるのですが、
ここから想像するだけの方が、よつぽど、


『忘れないやうに。』

この世にもうゐない人を
想つても想つても空回りばかりで
いつまで経つても応へは来ない

伝へたいことはたくさんあるし
言へなかつた言葉がもつとある
知りたい気持ちは、もう知れない

それでも想ひつづけることは
たぶん絵馬とか短冊に似て
祈りと云はれるものなんだと

だから後悔でも贖罪でも執着でもなくて
ただただ貴女を忘れないやうに
悲しみではなく温もりを忘れないやうに


『春君夏秋冬』

風がそよぐ音がする
冷たく心を砕く気がする
今朝入れた珈琲のミルクは一杯だつた

桜が咲いてたやうな気がした
でももう葉だけてしまつたんだ
それが自然だけどよかつたんだらうか

なにかが消えたやうな気がする
それが何かは判らないんだ
巣作る燕は憶えてんだらうか

ほんとは全部解つてゐるんだ
まだ心構へができてないんだ
鼻の奥に夏の匂ひがした

どうしてみんな夙く綺麗に死んでしまうんだ
春は暖かいし夏はにぎやかだし星月はやさしいのに
なんでそれが全部見えないままなんだ
しかも君が死んだその事すらも こんなに美しい

21gと抱えきれないたくさんの思ひ出が
たまに白む波間に浮きつ沈みつしてゐる

君が好きな鈴蘭も
君が嫌つた君自身の
骨とおなじ綺麗な真つ白だつた

これから先きも真つ白で
僕の記憶も白んでいつて
いづれなにも判らなくなるんだ

ふと夏の匂ひが鼻を盗んだ
純白よりも白い君が君かも判らないままで
感情もなにも起こらないはずなのに
なんでか涙が毎年のやうに降り来る

真つ白な君がまるで季節そのもののやうに
砕けた心の欠片が後頭部に突き刺さるやうに
もうすぐ入道雲がこちらに向つてくる



『善い人になれますやうに』

新しい午後を捜すために飛びだした道には
蝉も蟻もない陽炎ばかり揺らいでゐて
その先に君の不明瞭な影法師だけが
ゆらゆらと不思議なほどに手をふつてゐました。

幼さが愚かだと云ふのでしたら
雨上がり取り残されたおたまじやくしを
掌で救つた五往復分の私は
ぐつと拳を隠してしまつて
憐憫の眼差しを向ければ善かつたのでせうか。

「みんなと同じやうにできて偉ひね」と
あの日先生が褒めてくださつたので
昨日は電車に飛び込んだ人をスマホで撮りました!
SNSで炎上してゐる人を拡散して叩きました!
選挙では与党にとりあへず投票しましたし
帰り路でみかんを落としたおばあちやんを助けました!
お礼にもらつたひとつのみかんを家に帰つて食べると
酸つぱくて、甘くて、なぜか涙が出るのです

先生、私はみんなと同じやうにできる
とつても善い子になれました
だから先生、どうか私を──て。



『瞬間の無力さ』

秋の雲が大きく高く錯覚するほどに
自分の小ささを感じて憂へるのでしたら、
あの月をうんと近づけてしまつて
貴女の心の夜を優しく照らしてさしあげたいのです。
体育倉庫に隠された冬の景色を
貴女には届けたいと思ふ夕暮れに
タグの消えた鍵束のなかから必死に
「おもひで」の四文字を捜してゐました。

さやうならのひと言だけで救はれて
ちやんと生きてねの一文だけで苦しんで
好い子が善い子ではないことを知つた夜、
とんこつラーメンの大盛りに替へ玉を頼みました。

吐きだしてしまひさうな胃袋が
私や貴女やあの人みたいに思はれて
けふは業と各停で帰りたいと思ひました。


『青を吐く』

吐いた息が頭上の青さと同んなじになつたのを視て
私の肺臓にも青空が拡がつてゐることを識りました。
なのに伝へやうとする言葉はどれもあまりに常識的で
仕様がなくて、「青を吐く」と表現してみるのでした。

分厚い契約書よりも子供の頃の指きりを大切に感じながら
もうどんなことを約したのかさへ憶ひ出せないのです。
きつと来週の月曜日の夕餉の献立くらゐ瑣末なもので、
それを胸の奥底に仕舞ひこんで今日まで
生きてこられるくらゐには美しかつたのです。

割れたコツプの破片に映る宝物が棄てられなくて、
瑕だらけになつたとしてもずつと握りしめたいと思ふのでした。

吐いた息が頭上の青さと同んなじになつたのを視て
私はまだ、青かつたころのことを必死に記述しやうと
もう丸まつた鉛筆で吐き出すやうに
吐き出すやうに。


『色彩言語』 

幼い時分 空がいちめん碧色に見えた
連れ添ふ母に空を指差し
「原つぱ」と言ふ
私は眼科にゐた

幼い時分 図画工作でお日様を描いた
同級生とお日様の色で諍つた
朋は赤 私は白と言ひ張つた
担任が仲裁したのち 赤い絵具が渡された

幼い時分 遊び回つた夕暮れ野原で
散りぢり游び雲を視て
紫色だと言ふと 夕焼けは朱だと笑はれた
幼い時分 私はひとりであつた

中学の時分 古典を読んだ
紫だちたる雲に 私は救はれた
漢詩で白日や碧空を識り 私は救はれた

言の葉は自由で 窮窟だ
こんなにも淼々とした海の
限りある生簀で游ぶみたく
漕ぎ出せず 顫へてゐた

失はれさうな言葉の漂流物を
手で掬ひ 生簀へ移す
また常識に圧さへられる子のないやうに
自由にこの海へ 漕ぎ出せるやうに


『遺失物は破顔ふ』 

だれもゐない教室に花瓶を。
それが誰に手向けられたものかも識らず
明日には萎れてしまふことも承知で。
だれもゐない教室に花瓶を。
仮にこの場で床に叩きつけたとしても
三平方の定理みたいに明日は決して変はらないのです。

顔から価値が消えてしまつたのは、一体いつからだつたらう。
叛けることが安心だと判つたときでせうか。
大事にしてゐた三面鏡に罅が入つたときでせうか。

駅のホームでそれに気づいた私は懸命に探して歩いたのですが、
宵闇が足許にまで絡みついてもうなんにも判らなくなつて、
いつそ消えてしまへと、文庫本ごと線路に抛げこんだのでした。

砂利がせらせら笑ひだしたものですから、
こんな時には精一杯お道化ませう!
剥がれ欠けた広告紙だつて もうれられらと小躍りしてゐるのです。
次の電車が来るまでは、価値なぞ忘れて
ただ悠然と狂人でありたいと冀ひながら
もう、どこが足かも忘れて それでも──


『野良り暮らり』 

いつか落としてしまつた夏蝉も
どこかの誰かのポケツトに這入るならば
幸せなんだと思ひます。
秋になる前に私の眼を潰してください。

まるで足竝の揃はない季節を生きる私たちは
不思議と畢はることだけは共通自覚してゐるのですが
驟雨のやうなさよならが訪れたトタンに
なす術もなく洗はれるのがいとど哀しく思はれるのでした。

もしも丘向ふに私の識らない雨が降つてゐたとしても
あなたはあの夏につづく明快さを畏れないで。

犬が遥かとほくへと旅に出るまへは
お気に入りの首環だけ こつそり置いてゆくのです。
いつかリサイクルシヨツプに竝ぶ事を想像すると
ちよつとだけ 寂しさうに誘蛾灯へ吠えるのでした。
その後の彼の旅は安楽なもので、
誰にも撫でられることはなくて
誰にも蔑まれることもなくて
夏蝉が頭上で啼くあひだだけは
入道雲を眺めながら「愛されたい」と祈るのでした。
祈りはおそらく届くことはないのでせうが
きつと わたしたちは──です!

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