白石さんの「今月の自由投稿二篇及び『書く事』について」、拝読いたしました。
僕の「17歳は二度あるか」に対して、深く向き合ってくださったことを、心からありがたく思いました。[「『書く事』」・「17歳は二度あるか」両原稿とも前月「偏向」2月号に掲載─編者註]
実際、その前身となった文章に対し、白石さんほど真面目にご返答をいただいたことはこれまでなかったので(笑)、感動いたしました。また、正直なところ、思っていたよりも、しっかりと僕の文章を批判してくださっていて、感動いたしました。
そして、率直に言って、僕は衝撃を受けました。2[前掲「『書く事』」の章─編者註]の途中に挟まれておりました、「手紙」に対してです。それが、テクスト全体の中に、意味を持って位置付けられていたことに対してです。けれども、これについては、書き出すと、そちらのほうに話が続いてしまいますので、それはまた、最後に触れさせてください。
まずは、さしあたり、お書きいただいた、僕の文章への読みや批判に対して、ざっくりとお返しさせてください。
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はじめに、文章をお送りした直後にも白石さんが特にご注目されていた、タイトルの謎に関してです。今回の白石さんからの返答では、「17歳は二度とない」、「なぜならぼくたちはまだそれを知らない」とS.H.U.は暗に語っているのではないか、「わたしにはわかりたくなかった」が、そう考えられるのではないか、とお読みになられていたかと思います。
この読みについて、僕として色々と思うところはありましたが、とにかく、白石さんがそこで、「わたしにはわかりたくなかった」とお書きになった上で、「二度あるためには一度目を奪回しなくてはならない、そのとき一度目と二度目とは同時に起こる」という詩を記し、その先で、「わたしによってうたわれずにはおかれなかった詩だ」とご自身で補足されていることの意味が、66[S.H.U.と白石の母校における文化祭の会期。A.D.2013─編者註]の前後に居合わせた人間として、また、その後、67以降の文実としてしか68をできなかった人間として、自分にも分かる、と勝手ながら感じました。ですから、その意味においては、「そういうことではない」と、僕は思いませんでした。
けれども、その上で、「17歳は二度あるか」というタイトル自体は、この前も、このLINE上で書かせていただきましたように、『13歳は二度あるか』に引っかけて、「中高時代の関係者」に向けて含みを持たせて謎を仕かけるような、「釣り針」的なものでもありました。もちろん、そのタイトルの「無意識」を解釈してみる、あるいは、その問いからあらためて考えてみる、ということも面白いと思いますが、僕としてはそういうものではありました。
また、この点に関して、この前も書きましたが、「青春(『祭り』)は二度あるか」ということと、「自治は二度あるか」ということを、ある程度は別の位相で整理して考えたほうがよいのだろう、と感じております(そこでは、白石さんもLINEでお書きになっておりましたように、65、66、68と、代によって、経験と見てきたものが少しずつ異なる、という問題も大きく、そのことを整理して考えたほうがよいのだろう、とも感じております。)。
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それで、「できること」と「やりたいこと」という言葉で僕が触れた箇所を、白石さんは文章内で厳しく批判されていたと思いますので、この点は、少し詳しく補足させてください。
まず、今回の「17歳は二度あるか」は、文章内でも書いているように、友人に送ったクローズドな文章の改稿です。それを送っている友人には、その文章だけではなく、これまでに、文章を送ってきました。そのため、本来は、それまでの文章のコンテクストの積み重ねがありました。その一連の文章の中で、「できること」と「やりたいこと」についてすでに書いたことがあって、その言葉を、そこでは、そのまま使ってしまったので、分かりにくくなってしまった、と思っています。これについては、初めて「偏向」上で、上の文章を読む読者に対しては、引っかかりを持ちながら、当座、「詳論はしていないので、とりあえず、筆者はそう言っている、と読んでおけばいいだろう」と読んでほしい箇所でした。ただ、全てを詳論することは無理であるとしても、大事に見える部分で説明が不十分であることに対して、もう少し別の書き方もできただろう、と反省してもいますので、以下に説明させてください。
また下でも補足いたしますが、とりあえず、上の一連の文章の中で書いていたのは、まとめて言えば、「やりたいこと」を僕もやるし、人はやったほうがよい。けれども、それと同時に、各人がそう思うあるべき社会の姿に向けて、「できること」もやろう、ということでした。まず、この考え自体に対して異論がある人も、当然ながら居ると思います。が、ここでは、僕はそういう倫理観を持っている人である、と一旦説明させてください。
そして、その上で、そこでは、次のようにも書いていました。その「やりたいこと」と「できること」が交わる地点を探してみる、ということを人はしてみてもよいのではないか、と。これについても、そのように書くこと自体が、「ひとのWILLに口出すこと」であるというのも、その通りである、と思います。が、この点も、僕は、そのように行動することを人に強制するのではなくて、考えることを迫ることが、今の時代に必要である、という考えをも持っている、と一旦説明させてください。
これらの真意は、しっかりと説明しようとすると、難しく、長くなってしまうので、さしあたり、このようにお考えいただければ、と思います。そもそも、「幸福」に価値を置きたいのはなぜか、(また、「価値観」を持つことが大切であると考えるのはなぜか、)という根本的な部分も、「17歳は二度あるか」においては、とにかくそういう風に考えるようになったということで、詳論しておりません。これらについては、下の文章からも補足されると思いますが、僕はもとより、「中高時代の関係者に届ける目的で」その文章を書きましたし、本当に気になる方は、僕に個人的に連絡をくれれば話します、と普段はお伝えしています。
さて、その上で、友人に送った文章では、次のようにも、書いていました。その「やりたいこと」と「できること」というのは、曖昧なものでもある、と。それが、その二つの言葉に、鉤括弧をつけていた理由でした。「『できること』が『やりたいこと』になるか、『やりたいこと』を『できること』にするかしないかぎり、労働はあっても仕事はない」と、僕もそう思っています。そのようなかたちで、その「できること」と「やりたいこと」というのは、ある意味で、置き換わり、曖昧なものでもある、という考えが前提でした。このくらいは、他の部分の分量を削ってでも、説明したほうがよかったかもしれません。
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ところで、「あなたの『中高時代の関係者』ならば少し苦労すれば書けるだろう。しかし、わたしの『価値観』に照らせば、15000字で自分のいいたいことをまとめられる能力にや、顔が洗えることほどの価値もない」というのは、僕も全くそう思っています。あくまでも、そうであるから、「少し苦労をすれば書ける」「中高時代の関係者」にだけ、「私とは何者か、ということと向き合いながら、何が幸せなのかという『価値観』と、それに基づく、社会に対してやりたいことを、多くの人に伝わるように、具体的なひと繋がりの文章として」書いてみてほしい、と願っている、ということです。そして、僕はまさしく、「意識高い系」の「啓蒙」を批判的に捉え、「庶民感覚」に根付いた生活様式に関心を持っているからこそ、都心から離れて、地方にやってきたのでもあります。
ただ、そのように、「中高時代の関係者」に文章を書いてみてほしいと願っている、ということには、白石さんがお書きになっているような問題もある、と僕も思っています。つまり、その願いが、S.H.U.の自分自身に対する不満の反映であるというのは、一定以上、その通りであるとも、僕は自分自身、そう思っています。「他人にたいし何かを欲す人間は、必ずや自己に対して何か不満がある」というのは、一般にそうである、と僕も思います。しかしながら、それは、万人の基本的な条件のようなものでもあり、この実際的なモチベーションのレベルを批判することは、結局、袋小路に至るという気もします。
加えて、僕は、だからこそ、人に何かを考えることを迫る文章を書くならば、そのモチベーションをも同時に示唆するような文章を書きたい、と常に思ってきたのでもあります。僕自身、17歳の時に「文化祭文集」に書いた文章[「遺書」─編者註]でも、そのように書いたつもりです。それらには、まさに、人は「聖人」にはなれないし、「価値観」に原理的に生きたら、「幸福」になれないのかもしれない、と疑う視点があったわけです。このことは、後でもう少し、補足させてください。
もっとも、白石さんの返答では、そこで、特にS.H.U.自身の不満ということについて、S.H.U.自身の「痛ましく、普通ではない」中高時代の過去との連続性を具体的に示唆してくださっている、とも勝手ながら、僕はそう思いましたし、そのことには、感銘を受けました。
しかし、その上で、この点、白石さんとはもしかしたらお考えが違うかもしれませんが、「他人にたいし何かを欲す」時、それは、自己に対する不満を持っているからであるのとともに、世界に対する不満を持っているからそうしている、という場合もあると言えると僕は思います。
例えば、僕はシンプルに、次のように感じてきたわけです。つまり、66周辺に居合わせた人たちが、(あくまで僕から見て、ですが、)極一部の人たちを除いて、全体として「偏向をきた」すことを「抑圧」して生きていることが、気持ち悪いのです。そこから、もっと限定して言ってしまえば、66のスタッフ[全校生徒の選挙によって選ばれた代表ペアにより組織される委員会の役職者─編者註]たちが、何もなかったかのような顔で(あくまで、それは表に映っている顔に過ぎない、という側面がありながらも、少し話してみても、上の「抑圧」を感じることが多い、ということです。)、社会の各地で生きていることに対しても、なんだかなあ、と思ってしまうのです。
かくして、それを、世界に対する不満、として持っている、ということです。それは、特定の66周辺に居合わせた人たちへの不満であるとともに、社会の多くの人が、それを「抑圧」して生きていると僕は思っている、ということです。人間の持つ業のようなものを「抑圧」して生きている人間が、どれだけ多いか、ということです。そのことが、気持ち悪い。
それを、自分が「偏向をきた」すことで自分自身を本当は「抑圧」しているのにもかかわらず、他人にもそれを求め、押し付けているのであり、つまり、それは自分自身に対する不満の現れなのである、と言うこともできる、とは思います。けれども、こちらのほうを強調することで、世の中全体が気持ち悪いんだよという、一個人としての世界に対する不満のほうが、背後に隠されてしまうのも、僕はどうかと思います。
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ともあれ、僕は「17歳は二度あるか」から、白石さんが今回お書きになってくださったような反応こそを、まさにもらいたかったので、やはり、全体として、その文章を掲載していただけて良かった、と思っております。あの文章はあの文章で、まとまった「叩き台」になっている、と僕は思います。
僕としては、まさしく、「挑発」したかったのです。僕自身は普段、(白石さんにはそのイメージはないかもしれませんが、)どちらかと言うと、「逡巡」するような文体(考え方)の持ち主である、と思っています。その上で、「中高時代の関係者」に対しては「挑発」したい、ということで、「17歳は二度あるか」にあるような文体にまとめてみた、というのが現実に近いと思いますが、とにかく、そうしたかったのです。それは、上にある意味で、気持ち悪かったからです。
しかし、読みやすさを考えて、字数に限りを設けたのでもありましたし、お書きいただいたような批判も、あることかと思います。その字数制限は、上にあるように、諸刃の剣であったとも思います。ただ、僕はむしろ、自然にしていると、「逡巡」文体がどこまでも長く続いてしまう傾向があるからこそ、字数制限をして書いたほうがよい、とも思いました。
加えて、僕は、そこで、「逡巡」するところをむしろ際立たせながら、「断言」する口調で書くことが、場合にはよりますが、誠実である、とも思っています。もっとも、「断言」と言っても、僕は「17歳は二度あるか」でも、主張について、「~ではないか」以上には、大抵、確信を持って言い切ってはいませんが。また、読者に対しては、命令形ではなく、「願っている」「~して『ほしい』」としか書いていませんが。
けれども、そうであるため、白石さんは「今後もブレないであろう」という書き方に対しても触れておられましたが、僕はそれは、大切なエクスキューズであった、と思っています。僕は、それこそ、人は「聖人」にはなれないという考えを、前提として持っている。人は「幸福観」や「社会思想」を持つことがあるが、それを自分自身、疑ってしまうのでもあるし、疑う必要もあるのではないか、ということを、その書き方で示したかった、ということです。それと同時に、しかし、「幸福観」や「社会思想」を持とうと意志することが大切である、と僕は思っている、ということでもあるわけですが。
いずれにしても、そのように、ある限られたボリュームの中で、ツッコミどころは多々ありながらも、「断言」「性」を持っているがゆえに、あれこれ言いたくなる「叩き台」に対して、それを読んだ人があれこれ言える。そうできる文章を、書きたかったわけです。そういう風にして、他人からあれこれ言われるように「ボケる」ことのほうが、そのように「ツッコむ」ことよりも難しい、とも思うからです。
もちろん、僕も、読者の立場だったら、なんでそんなことをお前に指図されなきゃいけないんだ、的な疑問を持つというか、イラつく文章でもあるな、と思いますし(笑)、場合によっては、「挑発」か「逡巡」かはっきりしろ、的な感じで、イラつく文章でもあるなと思います。しかしながら、僕は、その淡いこそが、人間のリアルであると思っていますし、「疑い」なく「自信」満々に生きている人のほうが、嘘臭い、と思っています。
でも、何かしらの引っかかりや感情を引き出さないことには、人は考えてくれないな、とも思うわけです。あくまで、一つのまとまった「断言」を示して、それに対して、批判を含めて、やいのやいの言う、という状況を「中高時代の関係者」の間で作りたかった、ということです。僕も、当然、文章内で言い足りていないことは沢山あるので、そこから、対面を含めて、対話が起これば、それでよいだろう、と思っています。
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しかし、「それでもどうやらこの原稿を書きながら、『ある意味、人に役割を求められてやっていただけであって、そこから解放されて、まるで自分のために生きていいんだよ、と言われた時に、何かのバランスを崩してしまった』のと似たような体験が『書く事』により起こりつつあるようなのだ」「げんにわたしは、何万字だろうと一気呵成にものすことたやすいが、シャワーを浴びるのにはその何十倍もの心的エネルギーを要する。況んや人間の約束事などとあっては……そしてそのことについて悩んでいる。気がつくとそれはふたたび書くという行為となってあわられる」「もはや書くことは遺制の遺恨とも生まれながらの生理とも見分けがつかない ここ流刑地にて、ぼくたちは遺制のなかの遺制を自らの生理とせざるをえなかったそれぞれの余剰を抱えたのだ!」と、白石さんご自身に引き付けて、「書く事」を巡ってお読みいただいたことについては、ここまで真剣に向き合ってくれる方がいらっしゃるのかと、本当に、驚くくらいでした。
もとより、先日もメッセージ上で書かせていただきましたが、僕は、上のようにしっかりと応答してくださったことを含めて、旧文運実[震災後1〜2年目までの学校自治の価値観に基づく旧派、震災後社会の流れと足並みを揃えるという口実の元、教員組織のテコ入れにより解体された]の過去の経験をお引き受けになられている白石さんのことを、ひとえに尊敬しております。上でも触れたように、多くの人たちが、そうしているようには、僕には見えてこなかったからです。
そのように言うこと自体が宿痾となっておりましたら恐縮ですが、さて、僕は上でも触れました、友人向けに書いた一連の文章で、「過去を引き受けること」は、「その過去の限られたコンテクストの外に出ないこと」とイコールではない、ということをも書いてきました。このことについても、ここで、補足させてください。
それは、例えばそれこそ、旧文運実そのものについて語り続けるのではなくて、白石さんがお書きになっておりましたように、それを戦前左翼の「転向」の問題と接続することで、文脈を「外に開いて」語る、ということでよいはずであるし、そのような営みにこそ、いわば、過去を未来の活動へと繋げる可能性があるのではないか、ということでした。
そうして、その先で、周囲の人へ伝えてきたのは、次のことでもありました。つまり、例えば、「旧文運実の経験をした後でどう生きるのか」という問題を含めて、自分の過去から来る、ある種の逃れられなさというのが、苦しいけれども、それと同時に、それが人生に活力を与える「やりたいこと」にも「なっていく」(そもそも、「やりたいこと」は曖昧である、ということを踏まえて、こう言いたいわけです。)、というような現象自体を、僕は言祝ぎたい、と。
今回の「17歳は二度あるか」でも、僕は旧文運実と学校自治での経験について、確かに、「受動態」で書き表しました。しかし、それは、その経験を、上にある意味で、人生の活力へと、肯定的なものへと転化させる、ということが前提なのでした。これは、17歳の時に「文化祭文集」に書いた文章も、それがテーマのつもりでした。あるいは、ついでに言えば、白石さんが挙げておりましたケンドリック・ラマーを含めて、ヒップホップには、その芸術的な形式が宿されてきたから、僕はそれの一部を好きなのでもありました。
ともあれ、この意味で、僕は今、過去を現在へ活力を与えるものとして、肯定的なものへと転化させ、「やりたいこと」へと向かえているので、満足している、のでもあるのです。それは、要するに、僕が自分の原体験から(上にある意味で、それを一方では疑いながらも)抱いている「幸福観」と「社会思想」に寄与することが、僕の「やりたいこと」であり、その中で、自分の能力や、すでに現実にある社会の中で、「できること」を(「プライベート」とは別に)「仕事」にしたい、ということです。
上で、S.H.U.自身の不満ということについて、S.H.U.自身の「痛ましく、普通ではない」中高時代の過去との連続性を白石さんは示唆してくださった、と僕は受け取った、と書きました。そこでは、それに対して、「『祭とは命懸けのものである』、けがをしたのは十七歳の彼なのではないか。ならわたしには『負傷者の全き恢復を祈る』ことしかできぬ」というスタンスをはっきりとお示しされ、そのように「恢復を祈る」とおっしゃっていただいたことを、あるいは、「かつてのきみは、『ある意味、人に役割を求められてやっていただけであって、そこから解放されて、まるで自分のために生きていいんだよ』。そしてこういったらいい、『17歳は二度とない』と。──」とおっしゃっていただいたことを、白石さんの「優しさ」である、とも僕は受け取りました。
けれども、僕は僕で、過去を未来の活動へと、ポジティブに繋げる途中に今居りますし、率直に言って、まさに今、単に楽しい、という気持ちが強いのですね。確かに、「17歳は二度あるか」に、僕のある種のイメージ(真面目で、シリアスなイメージ?)が加わったら、それが要するに、全体として、「『させられている』暗い時代の反復」としての、過去の苦しみの他人への押し付けにも見える部分があるのかもしれなかったのですが、「少なくとも自分にとって新鮮で面白い地域があることを知ることとなった」とか、「この現実の問いが興味深いものであるということが、少しでも伝われば、幸いである」とか、「過去を引き受け」つつ、文脈を「外に開く」ことは単に面白いんだよ、ということを、そこでは表したかったのでもありました。
そういう面白さ(「やりたいこと」)と、上で書いた逃れられなさの交差する地点を、僕なりに見付けたんだよ、ということを、「中高時代の関係者」に知らせたい、ということもありました。これは、自分を分かってほしい、というより、具体的に、僕はすぐに大学進学をできなかった人間でもあるので、ある意味、友人に安心してほしい、という気持ちからでもありました。
僕はだから、まずもって、その交差する地点を、「中高時代の関係者」に考えてほしい、と「願っている」のであって、「自分と同じように生きて欲しい」とは思っておりませんし、「17歳は二度あるか」内でも、「もちろん、あなたの『価値観』は、これと同じではないかもしれない。けれども、地域づくりにおいて、もっと言えば、社会と関わることにおいて、何かしらの『価値観』を持つことが大切であると、僕は思っている」と書きましたように、多元的にそれが渦巻き、多様な選択がすでに自然となされている世の中それ自体を変えたい、などとは考えておりません。
その上で、しかし、世の中全体が気持ち悪いんだよ、とも思って、他人に考えてほしいと願ってしまうし、そして、何かしらの「幸福観」と「社会思想」を各自が持って、専門的に勉強し、上にあるように、「やりたいこと」との曖昧さをそこで前提としながら、課題が山積した社会に対して、「できること」=「仕事」をすることを目指してほしい、と思ってしまう、という自分の気持ちを他人に伝えることを、僕はやめようと思いません。これが、僕の「弱さ」であり、リアルなのである、とも思います。このことは、あえて言えば、「あの人はああいう人だから」と認識してもらえればよい、ということであるとも思っています。
もっとも、白石さんが書かれた意図を僕が取り違えておりましたら恐縮ですが、僕は白石さんに、上のように「かつてのきみは、『ある意味、人に役割を求められてやっていただけであって、そこから解放されて、まるで自分のために生きていいんだよ』。そしてこういったらいい、『17歳は二度とない』と。──」とおっしゃっていただいたことで、少し肩の荷が降りたような気もいたしました。このお心遣いにも、感謝いたします。
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もう少しだけ、補足させてください。
まず、僕は、一部の同輩に対しては、上までにあるような話を、彼らが大学生の間からしてきましたが、この顔の見える人たちが、大して反応せず、行動を変えることもなかった、と思っています。このことが、自分の生き方を考え直すきっかけになったのでした。つまり、考えを伝えて、他人をどうにかするのは、根本的に無理だ、と思ったのです。これは、「願う」ことしかできない、ということでもあります。また、文章を書いて、上の問題系において友人と知人を「挑発」するのは、「17歳は二度あるか」で最後にすると、もとより、思っておりました。だからこそ、「偏向」にも改稿して公表させていただいて、あとは、「言わない後悔よりも言った後悔」にしておこう、という気持ちでした。
この意味でも、僕はそもそも、ある仕方で考えることに大した価値を置いていない、と言えるとも思いますし、そのことに対して、大した期待をしていない、という気持ちなのです。それよりも、生活する環境が大切である、と思いますし、だから、僕は、実践事例の研究とそれへの協力に、活動を変えました。
また、繰り返しになりますが、実践と言っても、その中で、ある理念を突き詰めてそれにグッと視野を狭める、という生き方に対しても、僕は批判的です。各人が「生活」を大切にすることが重要であるはずだと思います。生き方の芯を持とうとする、ということと、そのことは、両立するのではないか。このスタンスがぬるいと思うのであれば、これについても、「あの人はああいう人だから」と認識してもらえれば、と思います。
ついでに、僕は理念を突き詰める「男性性」が、感性として好きではありません。白石さんへは、倉橋由美子の「パルタイ」が好きだとポロッとお話したことがありますが、僕はそういう人間です。66の両陣営を見たり、58[五月の文化祭に対し、十月の運動会の会期をさす、ほとんど同じメンバーによって組織運営されている。この代では文化祭にあたる66で、活動経験のない新派が選挙に勝ち、半年後の運動会にあたる58は経験者たち旧派が選ばれたものの、度重なる不祥事により中止となった、直後に委員長であったひとりの生徒が自主退学を迫られ退学する─編者註]を見たりしていた時、率直に言って、彼らとは人間としてのあり方が違う、と思っていましたし、僕の現役中の活動は、その途中に批判されるとすれば、それは「多様性を受け入れること」であった、と言えるとも思います。
しかしながら、むしろ、それゆえに、ある程度の生き方の芯を持ち、批判するものは批判するという「男性性」を、自分に要求するようにして生きているのが自分であると、自己認識しております。また、「挑発」的な文体を含めて、「男性性」を偽装して文章を書くことがありますが、それは、男性に対して考えることを迫るのに有効だと思っているから、その文体を選んでいるに過ぎず、僕の自然な文体とは異なる、と認識しております。
世の中全体が気持ち悪い、と思う。でも、僕は、気味が悪いと感じる人が目の前に現れても、その人を愛おしいと思い、赦してしまうのでもある。これも、自分の「弱さ」である、と思っています(上で触れた、僕の僕自身に対する不満というのは、この「弱さ」に対して、ということが大きい、と思っています。)。けれども、実はこれは、人間が、大小はあれど、一般に広く持っている能力なのではないか、とも僕は思っており、このことが、人間の「希望」である、とも思っております。ただし、その能力は、実際に目の前に人が現れないと、発揮されづらい、という特徴も人間は持っている。これが、他人に対して、SNSや文章では攻撃的になってしまうことが多いが、お互いに「会ったら良い人」と多くの人が言う、という現象の本質なのではないか、と。
だから、そのことを基盤に世の中を作るにはどうしたらよいのか、と考えることが大切であり、そこから、具体的には、共同性を維持し、共同性が大切であるという「常識」によって、ある意味、人を「束縛」することが大切なのではないか、と僕は考えている、ということでもあります。これは、場合によっては、個人の自由と衝突することもあるが、人々が、構造的に、SNSで攻撃的になってしまうよりかは、どちらかと言えば、その構造を世の中が持っているほうがよいのではないか、と僕は考えてきた、ということです。
これも、本当に気になるなら、僕とお話しましょう、と言って、これ以上は普段省略する内容ですが、すなわち、生き方のスタンスが複数あることを前提に、共同性に価値を置くこと。個人の「自由」を延長していくだけでは、「幸福」から遠ざかる場合があるので、ある種の「不自由」が人間には必要である、ということ。よって、むしろ、人は「規定」され、行動の「限界」を抱える必要がある、ということ。僕はこう考えており、これ自体、確かに、スタンスが合わない人とは合わないだろう、とも当然ながら思っております。
上で、「一旦説明させてください」と書いた問題がありました。これについて、「難しく、長くなってしまう」説明の冒頭部分は、このようなものです。
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さて、神社についてのお話、大宮という土地のお話、大宮氷川神社のお話などもしてくださり、ありがとうございました。それらに関しては、お祭りやその土地が古くから祀ってきた神さまについて、15000字の中で、触れていたわけではありませんでしたが、「観光は、地域資源を保全することで地域の地域性が継承される、という点に利点がある」「観光は、『先人の文化、自然で食う』『誰でもできる仕事』であり続けて欲しい」「地域の固有性や『祭り』と、それを均質化する近代化の波との間に挟まれているのが、各地の地域観光の現場である」ということで、地域の文化の継承の問題として、観光の観点に含まれている話である、とも認識しておりました。この点についても、少しだけ、補足いたします。
僕も、「地域の活力の中心が、その土地の神さまを祀るお祭りであること」については、各地で感じさせてもらって参りました。個人的な地域調査の中で、終日現地のお祭りのお手伝いをさせてもらうこともありますし、例えば、この返答も、旅行業界の研修で、世界農業遺産の実地調査をしている間に、バスやホテルの中で書いているところです。丁度、先ほど実施した、ある重要無形民俗文化財の調査では、平安時代から、鎌倉時代から、室町時代から、江戸時代からの様々な文化がその土地に残っており、神仏習合の歴史に道教や民俗文化が混ざった、複雑ですが、非常に興味深い地域のお話を伺いました。
しかし、このような日本の歴史文化に関して、僕が言いたいのは、以下のことです。今、それを考えるにあたって大切なことは、そもそも、人口動態として、近年の地方の少子高齢化と、都市への人口流出が、歴史的に史上初の様相を呈しており、今後、消滅する地域が多く発生すると予想されている中で、それらを我々はどうしていくのか、という課題と向き合うことになっている、ということです。
上までに書いた話と、ここでも繋げたいのですが、この、地域に残されている日本文化を、どのように次世代に継承するかという社会的な問題においても、次の問題を挙げることができると思います。
というのも、例えば、地域の文化や慣習には、あえてこう言えば、継承するのが面倒臭いと言えば面倒臭いものも、中にはあることでしょう。その文化に参加したら楽しいし、お祭り系の何かであれば、準備は大変だけれど、当日やり始めたら楽しい、という性質を持ったものも多いのではないか、と思います。とにかくそうした性質を持ったものを、「やりたいこと」だけをやる、という現代的な意識の持ち方とその風潮においては、しばしば守れない、ということに僕は注目しているのです。
このように言えば、私ではなく、私たちには、歴史上やらなければならないこと、というのがある、と僕は考えるのです。そして、それに対して、自分が貢献できること、つまり、「できること」を各人がやる必要もある、と僕は考えるのです。上でも書いたように、そのことに対して、それは「不自由」であり、それはあなたが「規定」されているものであって、あなたの「限界」に過ぎない、と言うこともできるでしょう。けれども、このような「規定」や「限界」の中に生きることこそが、「自由」と「幸福」のバランスを生きることである、と考えることもできる、と僕は思っているのです。「(今生きている人が)そこまでやりたくないものないなら、やめればいいじゃん」と、僕には言えない、ということでもあります。
ところで、僕は中高時代、ある学校の風土やその中の組織の活動について、次世代に何をどう繋ぐか、ということを考えていました。そして、そこでは、時代の中で守ることが難しくなっているものをどう守るか、ということを特に考えていたのでもありました。そうして、その営み自体の文化は、それを行ってきた先人から、先輩から受け取ったものでもありました。それは、そもそも、「受動態」で表現せざるを得ない営みであった、と思います。そもそも、自分が「やりたいこと」であったのか、よく分かりません。
例えば、僕は先輩に部門会[文運実の実務セクションごとの活動(顧問のいない部活のようなもの)、S.H.U.入学時にはすでに実務より仲間との交遊とその盛り上がり(祭りに向けた)に重きが移っていた]に誘われなかったら、中学校では、元々、生物部に入る可能性が高かったと思います。動物に関心があったからです。そこで、自分の興味に従って進んでいたら、今と全く違う人間になっていたことでしょう。けれども、「やりたいこと」なのか分からないことに巻き込まれていった先で、地域に残されている文化財や「祭り」を含めて、地域の文化をどのように次世代に継承するか、という問題と向き合うことになった今は今で、楽しいわけです。
かくして、以上が、白石さんがメッセージで書いておりました、中高時代の僕の活動と、今の僕の活動とがどう絡んでいるか、ということの補足になるのではないか、とも思います。僕は、昔と全然変わらないことをやっているな、と自分で自分に呆れることがあります(笑)だって、地方の観光地づくりにおける議論というのは、中高時代の文化祭づくりにおける議論と似たものが多いですから。学校においてもそうであったように、ある程度、人口が小さな規模であることが条件だとは思いますが、住民参加(「自治」)でお祭り的な空間(とその土台となる生活空間)をつくって、そこに観光客(来場客)がやってくる中で、集団としての主語が立ち現れて、「外の世界はこうなっているけれど、○○(その地域の名前)は○○なんだから、この場所の良さを守ろう」と、都市的な時代の流れとどう折り合いを付けるか、ということが肝になってくる。この文章に既視感がある人に向けて、僕は「17歳は二度あるか」を書いたのでした。
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2の途中に挟まれておりました、「手紙」。詩に疎い僕が、このように軽々しく言っていいのかは分かりませんが、それには、詩の持つ力のようなものを感じずにはいられませんでした。「書く事」というテーマが浮かび上がった段階で、「なぜこの遺制のなか『書く事』というもうひとつの遺制が導入されねばならなかったか その起源はぼくにもわからない 少なくとも ぼくが塀のなかに入ったときにはすでに存在していた遺制だった」と記憶が蘇るようにして過去が思い出されて、謎が解ける演出というか、その展開には鳥肌が立ちましたし、その流れで緊張感を追体験させられた先で、「やっぱ十文字以内で」。そして、「英傑二人」と64のお話に繋がっていくのも、凄まじいものを読んでいるな、と感じました。
「今月の自由投稿二篇及び『書く事』について」の、「17歳は二度あるか」へのアンサー部分のような文章を、僕はむしろ、書けません。「土地のひとびと以上にそれらがぼくを所有した」なんて表現、絶対に書けないんじゃないか、と思いました。いや、やられたなあ、と思いました。僕から見たら、そうした張り詰めた詩が、散文の内容と絡み合ってそこに挟まる、テクストとしての自由さや、あるいは、「飛躍」や、頭の中の思考の流れをそのまま書き記しているようなドライブ感が、白石さんの「これだといえるような文体」に感じました。
特に、上の詩の部分には、共感もいたしましたし、人間の業に触れるような、凄みを感じました。僕の「挑発」文体など、これに比べれば、なんでもないと本当に思います。元々、僕自身、白石さんの65や57の文集を何回読んだか分からないような人間です。上では、自分の文章への白石さんからのレスポンスに対して、色々と述べさせていただきましたし、僕としては、白石さんの返答を受けて、先の15000字へと補足したいのは、上に書いたことでもあります。けれども、正直に言って、白石さんの返答の中で、上の詩を読めただけで、僕は感無量なのでした。一人の旧文運実の後輩として、白石さんの文章を「引き出す」ことができたなら、それだけで、もう何も言うことはないんじゃないか、と。
それでも言わせていただければ、勝手ながら、僕は、66周辺に居合わせた方々へ、「挑発」的に、上の白石さんの詩を読めやお前ら、とも言いたくなってしまうのです。お前らは中途半端だから、こう、真剣に自分と向き合った生き方が怖いんだろ、と。スタッフへは、それじゃあ、どの顔で、自分と向き合えとか言って、課題とかいうものを後輩スタに出してたんだコラ、と。いや、一応言っておけば、それは、上で書いた赦しともセットなのですが、その一方では、こうも思ってしまうのです。そして、これは、それこそ、例えば自分を、そのように自分と向き合ってしまう生き方へと変えたある他人に対しての被害者意識や、その生き方がどこかで嫌であるという、自分に対する不満や、誰かへの恨みということではない、と僕は思っているのです。これは、ありがちな、「父殺し」的な後輩スタによる先輩スタ叩きでもない、と思っています。でも、そんな中で、だからこそ、僕は、白石さんの「偏向」のご活動を知って、感銘を受けたのでした。今回の、「書く事」を巡る文章にも、感動したのでした。
ともあれ、今後も、白石さんの文章を楽しみにさせてください。あらためて、今回は、真正面から応答していただき、本当にありがとうございました。
さて、このお手紙も、いくらでも書けてしまうので、この本文の15000字で、終わりたいと思います。前回の文章のようにカチッとしたものではなく、旅の二日間の合間に即興で書いたものでしかないですが、それの補足になれば、幸いです。(15000字)